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ドイツ政府の脱褐炭法案と褐炭火力発電所全廃スケジュールをめぐる激論

ドイツ政府の脱褐炭法案と褐炭火力発電所全廃スケジュールをめぐる激論

2020年02月27日

激動する欧州エネルギー市場・最前線からの報告 第17回

今年(2020年)1月16日、ドイツのメルケル政権は歴史的な発表を行った。同国は遅くとも2038年までに脱石炭・褐炭の実現を目指しているが、その内最も重要な29基の褐炭火力発電所の全廃スケジュールを発表したのだ。ドイツ在住のジャーナリスト、熊谷徹氏が詳しく紹介する。

連邦政府と州政府が脱褐炭の工程表について合意

ドイツ政府は褐炭採掘地を持つ旧西ドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州、旧東ドイツのザクセン州、ザクセン・アンハルト州、ブランデンブルク州の各政府、さらに電力会社と工程表について協議し、合意にこぎつけた*。政府はこの内容を脱石炭・褐炭法案として閣議決定し、今年(2020年)6月末までには連邦議会で可決させて法制化する方針だ。

いよいよ石炭と褐炭の廃止のための法律が制定されるのだ。

メルケル政権によると、2020年1月1日の時点でドイツでは30基の褐炭火力発電設備が使われており、設備容量の合計は17,170MWだった。工程表によれば、脱褐炭は三段階に分けて実施される。今年末から2022年末までに、8基を閉鎖して設備容量を2,820MW減らす。この第1期に停められる褐炭火力発電設備は、すべて旧西ドイツの大手電力RWEが所有するものだ。

さらにドイツは第2期(2025年~2029年)に11基を停止して設備容量を5,700MW減らす。つまり褐炭火力の発電能力を、今後10年間で半分に減らすのだ。
第3期つまり2034年~2038年には残りの11基を停める。遅くとも2038年の大晦日には、ドイツで運転される褐炭火力発電所の数はゼロになる。

さらに2026年~2029年に電力需給や雇用状況などを検討して、経済・社会に対する悪影響がないと認められれば、脱褐炭・石炭を2035年に前倒しすることもあり得る。

資料・ドイツ連邦経済エネルギー省

同時に、ルール工業地帯や旧東ドイツのラウジッツ地区などでの褐炭採掘も取りやめになる。

この計画が発表された日、ドイツ連邦環境省のスヴェニア・シュルツェ大臣(社会民主党=SPD)は、「ドイツは、脱原子力と脱石炭を同時に実施する、世界で最初の国だ」と語り、経済成長を実現しながらエネルギー産業の非炭素化を目指す決意を世界中に示した。

*合意の発表文

褐炭・石炭はドイツにとって重要なエネルギー源だった

ドイツ政府が今回打ち出したスケジュールの基礎は、今からちょうど1年前に、政界、経済界、学界、環境団体の代表から成る脱石炭委員会が行った提言である。委員会は、ほぼ全会一致で、2038年の脱石炭・褐炭を勧告していた。

現在ドイツでは、褐炭の露天掘りが可能で、最も調達コストが低いエネルギー源となっている。このためドイツでは2019年12月末の時点でも発電量の約19%が褐炭によるものだった。だが褐炭は二酸化炭素(CO2)を他の化石燃料よりも多く発生させる。したがって褐炭火力発電所は、環境保護団体からクリマ・キラー(気候を殺す物)というニックネームを付けられていた。

ちなみにドイツの発電量の約9%は石炭による。褐炭と石炭を合わせると約28%となり、再生可能エネルギー(約40%)に次いで多い。2050年までに温室効果ガスの排出量を正味ゼロにするという目標を達成するには、ドイツ政府は脱褐炭・石炭を避けて通れないと判断したのだ。

資料・BDEW ドイツ連邦エネルギー水道事業連合会

ちなみにドイツでは、すでに石炭の採掘は停止されており、全ての石炭がロシアなど外国から輸入されている。ドイツ国内で運転中の37基の石炭火力発電設備の閉鎖スケジュールはまだ決まっていないが、遅くとも2038年には全廃する。石炭火力発電所の閉鎖については、「入札方式」が取られる予定であり、入札の詳細とスケジュールも近く発表されることになっている。

褐炭採掘に従事する労働者に補償措置

脱褐炭は、ルール工業地帯やラウジッツ地区の褐炭採掘地で働く約56,000人の雇用に深刻な影響を与える。このため連邦政府は、褐炭採掘地の労働者に様々な救済措置・支援措置を実施する。

たとえば、これらの地域の産業構造の変革、省庁や研究機関、連邦軍施設の誘致、高速道路や鉄道などインフラの整備を実施する。

他の支援もある。中高年の労働者は他の仕事に就けず失職するリスクが高い。政府は彼らのために「適応手当(APG)」という援助金を支援する。早期退職のために公的年金の支給額が減る労働者に対しては、国が年金額をかさ上げする措置も実施する。特に旧東ドイツではメルケル政権に対して不満を抱き、右翼政党を支持する市民の比率が旧西ドイツよりも高い。脱褐炭が原因で失業者数が急増した場合、旧東ドイツで右翼政党の得票率がさらに高まる危険がある。これも政府が労働者の救済措置に力を入れる理由のひとつだ。

さらに政府は、今回の合意によって褐炭火力、石炭火力発電所の閉鎖、褐炭採掘の停止を余儀なくされる電力会社4社(RWE、ユニパー、ENBW、LEAG)に対して、合計43億5,000万ユーロ(5,220億円・1ユーロ=120円換算)の補償金も支払う。

褐炭の使用をやめると、電力の小売価格が一時的に上昇する可能性がある。ドイツは今でも電力の小売価格が欧州で最も高い国の一つなので、さらに電力価格が上昇すると、企業や市民の負担が増加する。このためドイツ政府は、脱褐炭による電力小売価格の上昇を相殺するための補助金を出す方針だ。そのために再生可能エネルギー賦課金の減額なども検討されている。

これらの費用を合計すると、ドイツ連邦政府は今後20年間に少なくとも500億ユーロ(6兆円)の資金を投じることになる。経済の非炭素化は、この国の経済にずしりと重い負担を科すことになる。

環境学者たちは合意を批判

電力業界や産業界では、今回の合意についての反応はおおむね良好である。

ドイツ連邦エネルギー水道事業連合会(BDEW)のケアスティン・アンドレー専務理事は、「褐炭火力発電所の閉鎖は、CO2削減目標達成の上で極めて重要であり、連邦政府と州政府が合意したことは喜ばしい」という声明を発表した。ドイツ機械工業連盟(VDMA)も、「脱石炭には巨額の費用がかかるが、秩序立ったエネルギー転換と褐炭採掘地域の構造変革のためには、今回の妥協案は最良の物だろう。特に褐炭・石炭火力発電所の閉鎖と、再生可能エネルギーの拡大が同時に計画されていることは、良いことだ」というコメントを出している。

しかし一部の環境学者や環境保護団体は、今回の合意を批判している。脱石炭委員会の委員だった28人の内、8人の元委員たちは、1月21日に、連邦政府と州政府の脱褐炭合意に反対する公開書簡をメルケル首相に送った。

彼らは「政府の決定は、脱石炭委員会で達成された合意を一方的に無視するもので、受け入れがたい。気候保護に関する合意が大きく傷つけられた」と主張している*

*合意に対しての批判を封じる記事

ダッテルン4号機の運転開始をめぐる激論

その理由のひとつは、ドイツ政府が新しい石炭火力発電所の運転開始を認めたことだ。

脱石炭委員会は、2019年1月の提言の中で、ノルトライン・ヴェストファーレン州の石炭火力発電所ダッテルン4号機について、「運転開始を認めるべきではない」と主張していた。電力会社ユニパーは、ダッテルン4号機の運転許可を、2017年1月(つまり脱石炭委員会の提言の2年前)に取得しており、今年夏に稼働させる計画だった。

ダッテルン4号機(ユニパーウェブサイトより)

ダッテルン4号機の建設は、2007年にはじまり、最初の計画では2011年に運転を開始する予定だった。4号機は2013年に完成したが、環境団体などからの訴訟や蒸気発生器の材質問題のために運開が遅れていた。1960年代に建設された1号機、2号機、3号機は2014年に停止している。

ユニパーは、2019年1月以来政府と行ってきた交渉の中で、次のように主張した。

「ダッテルン4号機は、最も厳しい環境基準を満たすように設計されている。燃焼効率が高く、最新のダッテルン4号機を運転させず、老朽化した褐炭火力発電所を2038年まで運転させるのは、非合理だ。また、天候によって再生可能エネルギー電力が不足した時に、ダッテルンは柔軟かつ短期的に発電量を増やして系統のバランスを維持するのに貢献できる」。

実はユニパーは、ダッテルンの建設に15億ユーロ(1,950億円)を投資していた。もしも連邦政府が、すでに完成しているダッテルン4号機の運開を認めなかった場合、ユニパーは建設費や逸失利益も含めて、数十億ユーロの損害賠償を請求する予定だった。これは政府にとって大きな負担である。

最終的に政府は、ユニパーの主張を認めて、ダッテルン4号機を18年間運転することを許可したのだ。

これに対し環境学者たちからは、「今新しい石炭火力発電所の運転開始を許すことは、地球温暖化が進む中で誤ったシグナルを世界に送ることになる」という批判の声が出ている。ドイツの環境保護団体BUNDは、1月16日に「我々はRWEのハンバッハ褐炭採掘場近くの森林の伐採をストップさせた。今度は、ダッテルン4号機の稼働ストップを目指して、反対運動を行う」と表明している。今後ダッテルン4号機をめぐって、激しい抗議デモや法廷闘争が展開される可能性がある。

さらに脱石炭委員会の8人の元委員たちは、大型の褐炭火力発電所を閉鎖するスピードが、石炭委員会の提言に比べて遅すぎると批判している。 彼らは「政府は、脱石炭委員会が勧めた削減スケジュールから乖離した。この結果、CO2削減量が不十分になった。脱石炭委員会は、2025年までに褐炭火力の設備容量2GWを減らして、CO2排出量を1,000万トン減らすことを提言していた。だが今回の合意によると、2030年までに褐炭火力の設備容量を500MWしか減らさないので、石炭委員会の提言よりもCO2が4,000万トン多く排出されることになる」と主張している。

このように、今後紆余曲折が予想されるものの、ドイツ人たちが6兆円もの国費を投じ、国民や電力業界に痛みが生じることは覚悟の上で、全ての褐炭・石炭火力発電所を閉じる道筋を示したことは、彼らのCO2削減への決意がいかに固いかをはっきりと示している。

経済の非炭素化に必要なのは、テクノロジーだけではない。気候を守るという政治的な意思の固さと、「将来の世代が住みやすい地球を引き継ぐ」という長期的な公共心も重要だ。

熊谷徹
熊谷徹

1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。1990年からはフリージャーナリストとし てドイツ・ミュンヘン市に在住。過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材、執筆を続けている。著書に「ドイツの憂鬱」、「新生ドイツの挑戦」(丸善ライブラリー)、「イスラエルがすごい」、「あっぱれ技術大国ドイツ」、「ドイツ病に学べ」、「住まなきゃわからないドイツ」、「顔のない男・東ドイツ最強スパイの栄光と挫折」(新潮社)、「なぜメルケルは『転向』したのか・ドイツ原子力40年戦争の真実」、「ドイツ中興の祖・ゲアハルト・シュレーダー」(日経BP)、「偽りの帝国・VW排ガス不正事件の闇」(文藝春秋)、「日本の製造業はIoT先進国ドイツに学べ」(洋泉社)「脱原発を決めたドイツの挑戦」(角川SSC新書)「5時に帰るドイツ人、5時から頑張る日本人」(SB新書)など多数。「ドイツは過去とどう向き合ってきたか」(高文研)で2007年度平和・協同ジャーナリ ズム奨励賞受賞。 ホームページ: http://www.tkumagai.de メールアドレス:Box_2@tkumagai.de Twitter:https://twitter.com/ToruKumagai
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