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EU、ウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長が放った「2030年CO2削減目標55%引き上げ」の波紋。電力業界ポートフォリオのグリーン化も加速か

EU、ウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長が放った「2030年CO2削減目標55%引き上げ」の波紋。電力業界ポートフォリオのグリーン化も加速か

2020年10月07日

激動する欧州エネルギー市場・最前線からの報告 第30回

欧州連合(EU)のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長は、2020年9月16日にブリュッセルで「EUの現状について」という演説を行った。同氏はこの中で、CO2など温室効果ガスの排出量を2030年までに1990年比で40%減らすというこれまでの目標値を、55%に引き上げることを提案した

削減幅を40%から55%に拡大

ウルズラ・フォン・デア・ライエン氏は「我々は、2050年までにEUを世界で最初の気候中立地域(筆者注=温室効果ガスの排出量が正味ゼロである地域)にすると約束しました。我々はこの約束を果たすために、可能な限り努力します。2050年までに正味ゼロ(ネットゼロ)という目標を達成するには、2030年までに1990年比で40%減らすという目標値を、55%に引き上げる必要があります」と語った。

2020年9月16日、ブリュッセルでのウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長 ©European Union, 1995-2020

さらに委員長は「この新たな目標を目指すことで、EUは地球をクリーンな惑星にすること、そして環境に負荷をかけない経済成長を実現します。我々は環境にやさしいテクノロジーを振興することによって、コロナ危機という試練を克服するだけではなく、成長率を高めることができます」と述べ、地球温暖化対策をコロナ危機からの復興策の中心にすえたことの重要性を強調した。

フォン・デア・ライエン委員長は、「55%という目標については、『あまりにも厳し過ぎる』と考える人々もいるだろう。しかし我々は、55%削減を実施した場合の経済に対する影響について、すでにシミュレーションを行っている。その結果、経済に大きな悪影響を与えずに55%減らすことは可能だという結論に至った」と主張する。

EUは1990年から2018年までの28年間に温室効果ガスを23%しか減らしていない。しかしEUは「各国での排出量削減の努力が進んでいるので、2030年の90年に比べた減少幅は40%を超えるはずだ」と見ている。フォン・デア・ライエン氏が今回55%という目標値を打ち出した背景には、こうした楽観的な観測がある。

ちなみに欧州議会の緑の党の会派は、「地球上の平均気温の工業化開始以降の上昇幅を1.5度以下に抑えるには55%では不十分であり、2030年までに65%削減するべきだ」と主張している。

産業界からは「1990年比55%削減は野心的すぎる」という批判も

さて、EUの新目標について苦い顔をしているのは、産業界だ。新たな目標設定により、自動車業界はより厳しい環境基準を課せられるからだ。

これまで自動車業界は、EUから2021年~2030年までにCO2排出量を37.5%減らすよう求められていたが、今回の新方針によって、50%の削減を求められる。

EUは現在の電気自動車(EV)の販売状況を見れば、50%削減は可能だとしているが、自動車業界は悲観的だ。

ドイツ自動車工業会(VDA)のヒルデガルド・ミュラー会長は「毎月の新車の販売台数の中でEVの比率は約5%。EUの新目標を達成するには、この比率を10年間で60%に引き上げなくてはならない。各自動車メーカーは、コロナ危機の影響と戦っている真っ最中だ。そうした中で削減目標をさらに厳しくすることは、欧州の自動車業界にとって負担となり競争力を弱めかねない」と不満を表明した。

ミュラー会長は、「EUが55%削減という目標を達成するには、企業のために法的な枠組みを整備する必要がある。今回のフォン・デア・ライエン氏の提案は、具体的な対策を伴っていない。EUはEVのための充電ポイントの増設や、再生可能エネルギー拡大をこれまで以上に積極的に行うべきだ」と要求。

ミュラー会長によると、EUでは2017年~2019年にEVとプラグインハイブリッド車の販売台数が110%増えたが、この期間に充電ポイントの数は58%しか増えていない。さらに、再生可能エネルギーによる電力の発電キャパシティーの伸びも遅れていると批判した。

ドイツの自動車業界は、基本的にはEV拡大路線を実行しつつある。しかしVDAは同時に燃料電池や、グリーン水素から作られる合成燃料の実用化を容易にするために法的な枠組みの整備や、補助金による支援が必要だという見解を打ち出した

日本経団連に相当するドイツ産業連盟(BDI)は、「フォン・デア・ライエン委員長の提案は、製造業界にとって余りにも厳し過ぎる」という立場を取っている。BDIは「コロナ危機によって産業界が苦しい状況にある時に、気候保護目標をさらに強化することによって、企業の余力を奪うべきではない」と警告。

またドイツ商工会議所(DIHK)も、「今回の目標引き上げによって、欧州産業界のCO2関連コストは増えるだろう」と懸念を表した。ちなみにEUは、欧州の製造業界の競争力が下がることを防ぐために、CO2削減努力が不十分な国からの輸入品に新たな「CO2関税」をかけることを検討している。

電力業界は政府支援の強化を要請

またドイツの電力業界の経営者団体であるドイツ連邦エネルギー水道事業連合会(BDEW)のケアスティン・アンドレー専務理事は、「フォン・デア・ライエン委員長の提案は、極めて野心的であり、政府が法的な枠組みを整備することが不可欠だ」と述べ、VDAのミュラー氏と同様に政府の支援が必要だという見方を強調した

アンドレー専務理事は、具体的には再生可能エネルギー拡大と系統増設を加速するとともに、欧州規模の水素エネルギー市場の創設と実用化、さらに電力・ガス、暖房、交通などを一体と見て非炭素化を目指す「セクター連携(セクターカップリング)」を強化することを要求した。またBDEWは、フォン・デア・ライエン委員長に対して「現在はエネルギー業界と製造業界、航空業界の一部に限られているCO2排出権取引を、自動車、船舶などの交通部門と建物の暖房についても導入するべきだ」と訴えている。

55%削減という目標は今後欧州議会で審議され、承認されなくてはならない。これらの目標は近くEUが制定する「気候保護指令」に明記され、加盟国で国内法として制定される予定だ。フォン・デア・ライエン氏の野心的な削減目標が、EU各国で再生可能エネルギー拡大、脱石炭、水素エネルギー実用化への動きに拍車をかけることだけは確かである。

また電力業界では、発電ポートフォリオのグリーン化を経営戦略の柱の1つにする動きも進むに違いない。

ドイツの大手電力会社の2020年上半期の業績報告書を見ると、グリーン化や水素ビジネスに軸足を移す動きが、はっきりと読み取れる。前回お伝えしたEUタクソノミーにも、資金の流れを非炭素系ビジネスに向けようという、欧州の指導層の意図が表れている。今年はコロナ危機だけではなく、欧州そしてドイツのエネルギー業界が脱炭素・グリーン化という方向性をはっきりさせた一種の里程標として歴史に残ることになるだろう。

熊谷徹
熊谷徹

1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。1990年からはフリージャーナリストとし てドイツ・ミュンヘン市に在住。過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材、執筆を続けている。著書に「ドイツの憂鬱」、「新生ドイツの挑戦」(丸善ライブラリー)、「イスラエルがすごい」、「あっぱれ技術大国ドイツ」、「ドイツ病に学べ」、「住まなきゃわからないドイツ」、「顔のない男・東ドイツ最強スパイの栄光と挫折」(新潮社)、「なぜメルケルは『転向』したのか・ドイツ原子力40年戦争の真実」、「ドイツ中興の祖・ゲアハルト・シュレーダー」(日経BP)、「偽りの帝国・VW排ガス不正事件の闇」(文藝春秋)、「日本の製造業はIoT先進国ドイツに学べ」(洋泉社)「脱原発を決めたドイツの挑戦」(角川SSC新書)「5時に帰るドイツ人、5時から頑張る日本人」(SB新書)など多数。「ドイツは過去とどう向き合ってきたか」(高文研)で2007年度平和・協同ジャーナリ ズム奨励賞受賞。 ホームページ: http://www.tkumagai.de メールアドレス:Box_2@tkumagai.de Twitter:https://twitter.com/ToruKumagai
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