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ドイツ政府、違憲判決受けCO2削減目標を大幅に引き上げ

ドイツ政府、違憲判決受けCO2削減目標を大幅に引き上げ

2021年06月21日

日本政府が2030年度の温室効果ガス(GHG)排出量を2013年度比で46%減という目標を発表した。ドイツではEUの目標とは別に、国として1990年比55%削減を掲げていたが、5月12日、65%減まで目標を引き上げた。この背景にはFridays For Future Berlinが起こした違憲訴訟がある。ドイツ在住のジャーナリスト、熊谷徹氏が報告する。

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削減幅を55%から65%に拡大

地球温暖化に関するパリ協定の目標達成へ向け、各国政府が二酸化炭素などの温室効果ガス(GHG)の削減を急いでいる。日本政府は4月22日に、2030年度のGHG排出量を2013年度に比べて46%減らすという目標を発表した。これまでの目標(2013年度比で26%削減)に比べて、野心的な目標設定である。電気事業連合会の池辺和弘会長は「2030年度という限られた時間軸を考えると、その達成には多くの困難が予想される」という声明を発表している。

ドイツ連邦政府も5月12日に、気候保護法の改正を閣議決定し、GHG削減政策を大幅に強化すると発表した。メルケル政権はこれまで2030年のGHG排出量を1990年比で55%減らすことを目標にしていたが、今回削減幅を65%に引き上げた。また2040年までに1990年比で88%減らすという新目標も設定した。

カーボンニュートラル(GHG排出量の実質ゼロ状態)の達成時期も2050年から2045年に早めた。化石燃料を使っている電力会社だけでなく、自動車メーカー、暖房器具メーカーなど経済の多くの分野に対して、GHG排出量のさらなる削減を要求する厳しい内容である。

連邦憲法裁の画期的判決が引き金

政府が気候保護に関する目標を大幅に厳しくした理由は、連邦憲法裁判所(BVerfG)が4月29日に下した判決だ。この判決は、地球温暖化問題に関心を持つ全ての人にとって大いに参考になる内容を含んでいる。環境保護団体Fridays For Futureのドイツ支部長ルイーゼ・ノイバウアー氏らが提起した違憲訴訟の焦点は、2019年に施行された気候保護法だった。


Fridays For Futureのドイツ支部長ルイーゼ・ノイバウアー氏 2019年

同法は、2020年~2030年については、製造業界やエネルギー業界、交通・運輸部門などが毎年排出を許されるGHGの上限を定めていたが、2031年以降の上限値を明記していなかった。

原告の若者たちは、「気候保護法が2031年以降のGHG排出量の上限値を明記していないことは、将来の世代が安全かつ健康に生活する権利を侵害している。政府は将来の世代の生命と健康を保護する義務を怠っている」と訴えていた。原告の中には、ドイツの北海のペルヴォルム島で農業を営む女性の子どもたち3人も含まれていた。彼らは「地球温暖化のために海面が上昇し、将来農地が海水をかぶって、農業を営むことができなくなるかもしれない」と主張していた。

BVerfGは、原告たちの訴えの内、「政府が生命・健康の保護義務を怠っている」という主張は退けた。しかし裁判官たちは、気候保護法が2031年以降のGHG排出量の上限値を明記していないことについては、「政府の手落ちであり、部分的に違憲だ」と認定した。つまり原告たちの、部分的勝訴である。

「世代間の負担の公平化」を重視

この判決の中で注目されるのは、裁判官たちが初めて「環境保護のための負担を、将来の世代に押しつけてはならない。負担は、各世代間で公平にするべきだ」と指摘したことだ。

彼らは次のような論理を展開した。

2031年以降のGHG排出量の上限値が明記されていないことによって、将来の世代がGHG削減努力を今日以上に増やさなくてはならない可能性がある。このため、将来の世代の市民権が今よりも大幅に制限されるかもしれない。たとえば、地球温暖化の影響が今以上に深刻化した場合には、GHG排出量を減らすために、化石燃料を使った交通機関の利用や、化石燃料に関する職種に様々な制約が加えられるかもしれない。つまり、いま環境保護目標を厳格に設定しないことのツケを、将来の世代に押しつけてはならないというわけだ。

その上でBVerfGはメルケル政権に対して、2031年以降の削減スケジュールを気候保護法の中に明記するよう命じた。連邦憲法裁判所の判決はドイツで最も強い拘束力を持ち、連邦政府も従わなくてはならない。控訴・上告もできない。それほど大きな影響力を持つ裁判所が、環境保護団体の若者たちの主張を部分的に認め、政府に対して気候保護目標の具体化を命じたのは、初めてである。


ドイツ連邦憲法裁判所

メルケル政権が猛スピードで法改正

経済界と市民を驚かせたのは、現在大連立政権を構成している与党(キリスト教民主・社会同盟=CDU・CSUと社会民主党=SPD)が判決に対して、異例の速さで対応したことだ。判決から5日後には、CDU・CSUの「1990年比で65%減」という案が新聞の第一面を飾った。

さらにメルケル政権は、判決からわずか13日後の5月12日に、「65%減」と「2045年実質ゼロ」の両提案を含む気候保護法の改正案を閣議決定した。

政府は2031年~2040年までGHG排出量の1990年比の削減率を明記しただけではなく、エネルギー業界、製造業界、交通部門などの2022年~2030年までのGHG排出量の上限値も、部分的に減らした。たとえば気候保護法は2030年のエネルギー業界のGHG排出量の上限値を1億7,500万トンとしていたが、改正案は38.3%引き下げて1億800万トンとした。

またメルケル政権は、「2041年~2045年までの削減幅については、遅くとも2032年までに提出する新たな改正案の中に明記する」と発表。連邦環境省は、「2031年~2040年の毎年の排出量の上限値をエネ部門、交通部門などの間でどのように配分するかについては2024年に政令によって決める。2041年~2045年の上限値の配分については、2034年に政令によって決める」としている。BVerfGの「2031年以降の削減のスケジュールが明記されていない」という批判に応えた形だ。


独メルケル首相と米バイデン大統領(左)2021年6月17日

背景に9月の連邦議会選挙

連邦環境省のスヴェニア・シュルツェ大臣(SPD)は、5月12日の記者会見で、「我々はこの法案によって世代間の公平を実現するとともに、経済界に過剰な負担をかけずに近代化する。法案の目的は気候保護目標を厳しくすることではなく、気候変動による危機を緩和することだ」と説明している。

大連立与党(CDU・CSUとSPD)が異例の速さで気候保護法を改正し、野心的なGHG削減目標を打ち出した理由は、今年9月26日に行われる連邦議会選挙だ。BVerfGは、GHG削減に各党の間で最も力を入れてきた緑の党の路線を、間接的に追認するものだ。

しかも緑の党の支持率は現在上昇傾向にある。5月7日にドイツ第2テレビ(ZDF)が発表した世論調査の結果によると、緑の党の支持率が前月比で5ポイント上昇して26%となり、CDU・CSUの支持率(25%)を追い抜いた。CDU・CSUは逆に支持率を6ポイントも減らしている。世論調査機関フォルサのアンケートでも、緑の党の支持率(28%)は、CDU・CSU(22%)に水を開けた。

来週の日曜日に選挙があったらどこに投票しますか?:Politbarometer: Grüne in Projektion knapp vor Union - ZDFheute

CDU・CSUの支持率が下がっている理由は、英国や米国などに比べてコロナワクチンの予防接種が大幅に遅れるなど、メルケル政権のコロナ対策が混乱し、市民の不満が募っているからだ。CDU・CSUの一部の議員が、昨年様々な省庁に中国製のマスクを斡旋し、見返りとして民間企業から数十億円単位の仲介手数料を受け取っていた事件も、支持率低下につながっている。

電力業界は「目標よりも具体的な対策」を要求

地球温暖化の歯止めをかける政策を重視したBVerfGの判決は、緑の党の人気をさらに押し上げるかもしれない。したがって連立与党を構成するCDU・CSUとSPDは、緑の党に票を奪われるのを防ぐために、猛スピードでGHG削減政策の強化を決めたのだ。

選挙戦が、各党の間で環境保護政策をめぐる一種の競争状態を作り出していることは間違いない。2011年の日本の福島事故の直後に、CDU・CSUを含むすべての政党が「右へならえ」と言わんばかりに緑の党と同じく脱原子力政策を取り始めた時と、似ている。ドイツのニュース週刊誌シュピーゲルは、BVerfGの判決を「第2のフクシマ」と形容した。

ドイツ連邦水道エネルギー事業連合会(BDEW)のケアスティン・アンドレー専務理事は、5月12日に声明を発表し、「気候保護に本当に役立つのは目標ではなく、投資である。今一番大切なことは、GHG削減目標を達成するために必要な法的な枠組みや具体的な対策だ。たとえば陸上風力発電設備の新設は、用地不足や許認可の遅れによって、暗礁に乗り上げている。政府は新たな太陽光発電ブームを起こすための戦略も持っていない」と指摘。

さらにアンドレー専務理事は「今後廃止される褐炭・石炭火力発電所を代替するための天然ガス、さらに水素エネルギーのインフラの建設計画もできていない。再エネ拡大の遅れのために、脱石炭の時期が遅れるような事態は絶対に避けなければならない」と苦言を呈した。確かに経済界からは、「政府はGHG削減目標を一方的に引き上げるのではなく、具体的な手立てを打ち出してほしい」という声が聞かれる。

今年9月の連邦議会選挙でどの党が政権に参加するにせよ、BVerfGの判決を無視することはできない。各省庁、各企業は粛々とGHGを減らすための努力を続けなくてはならない。その意味で今回の判決は、ドイツの環境政策の歴史の中で重要な里程標となりそうだ。

熊谷徹
熊谷徹

1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。1990年からはフリージャーナリストとし てドイツ・ミュンヘン市に在住。過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材、執筆を続けている。著書に「ドイツの憂鬱」、「新生ドイツの挑戦」(丸善ライブラリー)、「イスラエルがすごい」、「あっぱれ技術大国ドイツ」、「ドイツ病に学べ」、「住まなきゃわからないドイツ」、「顔のない男・東ドイツ最強スパイの栄光と挫折」(新潮社)、「なぜメルケルは『転向』したのか・ドイツ原子力40年戦争の真実」、「ドイツ中興の祖・ゲアハルト・シュレーダー」(日経BP)、「偽りの帝国・VW排ガス不正事件の闇」(文藝春秋)、「日本の製造業はIoT先進国ドイツに学べ」(洋泉社)「脱原発を決めたドイツの挑戦」(角川SSC新書)「5時に帰るドイツ人、5時から頑張る日本人」(SB新書)など多数。「ドイツは過去とどう向き合ってきたか」(高文研)で2007年度平和・協同ジャーナリ ズム奨励賞受賞。 ホームページ: http://www.tkumagai.de メールアドレス:Box_2@tkumagai.de Twitter:https://twitter.com/ToruKumagai
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