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イスラム国指導者死亡から1年 今後のイラク情勢の行方は

「イスラム国」(IS)指導者死亡から1年 今後のイラク情勢の行方は

2020年11月24日

国際テロとエネルギー地政学 第2回

直近1年以上にわたって、日本でイスラム国(IS)が話題になることは少なくなっている。しかし、ISによるテロ行為が完全になくなったわけではない。むしろ、新型コロナウイルスの影響が、ISの拡大につながる可能性もあるという。この事態は、イラクの原油生産にも影響を与え、油価の不確定要素ともなりかねない。清和大学講師でオオコシセキュリティコンサルタンツ アドバイザーの和田大樹氏は、中東などイスラム圏に展開する日本企業に注意をよびかける。

ISの弱体化でイラクの復興・再生が注目されるが・・・

2020年10月下旬で、イスラム過激組織イスラム国(IS)のアブ・バクル・アル・バグダディ(Abu Bakr al-Baghdadi)容疑者の死亡が発表されてからちょうど1年となる。

トランプ米大統領は去年(2019年)10月27日、バグダディ容疑者がシリア北西部で米軍の軍事作戦により死亡したことを明らかにした。同月31日には、ISの公式メディアもバグダディ容疑者の死亡を認め、ISが新たにアブイブラヒム・ハシミ・クラシ(Abu Ibrahim al-Hashim al-Quraishi)という人物を後継者に指名したと発表した。

その後、エジプト・シナイ州を拠点とする「ISシナイ州」やバングラデシュを拠点とする「ISベンガル州」をはじめ、パキスタンやソマリア、イエメンなど各地でISを支持する武装勢力が、新しい指導者へ忠誠を誓うとする動画をネット上に公開した。

しかし、この1年間、IS関連のニュースが日本のメディアで流れることは極めて限定的だった。去年3月、シリア東部のバグズ(Baghouz)が奪還されて以降、ISは支配地域を完全に喪失しており、イラクやシリアで自らの存在力を十分に誇示できるほどのテロを実行していない。2014年や2015年などISの最盛期と比べ、テロ事件や死傷者数の数も幸いなことに大幅に減少し、現在のイラクは、国の復興と再生をどう進めていくかに舵が切られている。

NHKが2020年10月2日に報じたところによると、2003年のイラク戦争以降で最大規模の復興支援プロジェクト(製油所の改良プロジェクト)の署名式が、同月1日にバグダッドで行われた。このプロジェクトでは南部バスラにある製油所に原油精製の設備を新たに設け、ガソリンや軽油などの石油製品の生産が行われる予定で、イラクの石油産業の発展だけでなく、雇用の創出や人材育成にも繋がることが期待される。


日揮ホールディングス株式会社 プレスリリース「イラクの製油所近代化プロジェクト契約調印式を実施」より

日本では報道されない、ISのテロ事件の現状

このケースのように、世界有数の産油国であるイラクが日本のエネルギー安全保障上も重要なパートナーであることに変わりはなく、今後イラク国内の治安がさらに改善されれば、日本企業による積極的な展開や投資が行われる可能性がある。しかし、コロナ禍のISの動向を追ってくると、依然として注意すべき情報がある。そのような情報は日本では全く報道されていないと言っていいだろう。

例えば、米国のシンクタンク“the Washington Institute” の中東専門家Aaron Zelin氏がまとめた情報によると、ISがイラクとシリアで犯行声明を出したテロ事件は2020年9月に99件を記録し、同年8月の139件から40件減少した。9月のテロ事件に関して、シリアではイラク国境にも近い東部、イラクでは北部以外にバグダッド周辺でも多く確認された。今年に入り、ISによるテロ事件は1月に88件、2月に93件、3月に101件、4月に151件、5月に193件とピークに達し、6月に87件、7月に115件と推移している。

また、他の米国シンクタンク“Center for Global Policy”が公開した情報によると、イラクでは北部を中心に1,200人あまりのISメンバーが依然として活動し、3月初旬から6月初旬の間に204件の攻撃で犯行声明を出し、特にキルクーク県やニナワ県、ディヤーラ県での攻撃が多くを占めたという。一方、シリアでは2019年における攻撃回数が合計で144件あったが、今年は8月までに126件に達するなど増加傾向にある。特に、ハマ県東部、アレッポ県南東部、ラッカ県南部で攻撃の回数が増えており、これまで攻撃が多かったデリゾール県では減少しているという。同シンクタンクは、ISが再び広大な支配地域を持つ可能性は低いものの、イラクとシリアで依然として攻撃を繰り返すことができる土壌は残っていると指摘している。

イラクでも拡大する新型コロナウイルス

一方、新型コロナウイルスの感染はイラクでも拡大している。10月21日までの時点で国内の感染者数は43万8,000人に達し、死亡者数は1万人を超え、最近も毎日3,000人~4,000人のペースで増え続けている。

上記の統計結果から言えば、新型コロナウイルスの感染拡大によってISのテロ事件が急増しているわけではない。ISやその支持者たちは、「新型コロナウイルスが欧米を襲ったのは神からの罰だ」「欧米諸国にいる支持者たちは攻撃を試みろ」などの声明を発信しているが、ISが発信する動画やメッセージの頻度や鮮度の低下も影響してか、それらに触発された者によるローンウルフ的なテロは報告されていない。

とはいえ、新型コロナウイルスが、ISのメンバーを中心に感染する可能性は十分にあり、テロ組織にとっても感染症は大きな脅威である。現在のイラクの状況を考えると、ISも一般市民と同じように感染予防を徹底し、必要以上の活動は控えざるを得ないともいえる。ISは常識が通用しないように思われるが、その政治的主義・主張は到底理解できないものだとしても、自らの目標達成と組織存続のためには合理的な選択肢を選ぶ。

しかし、新型コロナウイルスの感染拡大とテロとの関係はもっと長い目で考える必要がある。筆者は3つのことを中長期的に懸念する。

新型コロナウイルスはISにどのような影響を与えるか

懸念されることの1つ目は、新型コロナウイルスの感染拡大による長引く影響で、テロ対策に従事するイラクの軍や警察がその対応に追われ、パトロールや警戒監視などのテロ対策が疎かになり、ISに自由に行動できる空間が拡がって活動がエスカレートする恐れがある。

2つ目は、新型コロナウイルスによる影響で失業や経済格差が拡がるだけでなく、圧迫される財政事情によって兵士や警察官への給与供給に遅延や停止が生じ、最前線でテロ対策に従事する人々の士気が低下する可能性がある。

そして、3つ目が一番深刻かも知れないが、失業や経済格差がいっそう深刻化し、一部の若者が抗議デモや暴力に走るだけでなく、テロ組織にリクルートされ、テロの世界に入ってしまう恐れもある。

以上のように、イラクにおけるテロ事件数と死傷者数の減少と治安改善はイコールとは言えず、現在のISの状況、そして中長期的懸念を考えると、日系企業にとって治安上安心できる環境が整っているわけではない。ISが以前のように猛威を振るうことはないにしても、イラクの政治的脆弱性を利用してISが活動を再びエスカレートさせる可能性は十分にある。

イラクなど中東へ展開するにあたっては、依然としてテロのリスクを最大限配慮した進出が企業には求められる。特に、スリランカやバングラデシュ、チュニジア、アルジェリアなどで日本人がテロに巻き込まれる事件が続いている。駐在員は企業戦士とも言われるが、駐在員や出張者の安全・保護を企業は最優先に考えることが求められている。

和田大樹
和田大樹

清和大学講師/ オオコシセキュリティコンサルタンツ アドバイザー 岐阜女子大学特別研究員、日本安全保障・危機管理学会主任研究員を兼務。専門分野は国際政治学、安全保障論、国際テロリズム論。日本安全保障・危機管理学会奨励賞を受賞(2014年5月)、著書に「テロ、誘拐、脅迫 海外リスクの実態と対策」(同文館2015年7月)、「技術が変える戦争と平和」(芙蓉書房2018年9月)、「2020年生き残りの戦略 ー世界はこう動く!」(創成社2020年1月)など。

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