同時多発テロと気候変動問題 -排出権取引の失われた20年 | EnergyShift

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同時多発テロと気候変動問題 -排出権取引の失われた20年

同時多発テロと気候変動問題 -排出権取引の失われた20年

2021年9月11日は、米国で同時多発テロが起きてちょうど20年目の節目の日となる。この事件は、気候変動問題にも多少なりとも関係している側面がある。それがどういうことなのか、あらためて振り返ってみたい。

キャンター・フィッツジェラルドのこと

2001年9月11日、筆者が仕事から自宅に帰り、テレビをつけると、そこには信じられない光景が映っていた。夜の10時、ニュースステーションで放送されていたのは、ワールド・トレード・センタービル(WTC)に航空機が突っ込み、ビルが崩壊していくというものだった。それが何を意味しているのか、すぐにはわからなかった。

ちょうど20年前に起きたこの事件は、さまざまな面から語られているが、ここではあえて気候変動問題という視点から語ってみたい。

1997年に開催されたCOP3・京都会議では、京都議定書が採択された。この議定書には、「京都メカニズム」というものが盛り込まれている。排出権取引やカーボンクレジットに関するしくみだと思ってもらえればいい。当時、多くの環境NGOは排出権取引について、「温室効果ガス排出削減の抜け穴」だと批判していた。しかし、排出権取引制度そのものは北米やオーストラリアで検討されてきたものであり、採択にあたって米国などの同意を得るためには不可欠なしくみでもあった。

米国にはそれまで、石炭火力発電を対象とした、硫黄酸化物の排出権取引制度が導入されており、CO2についても次のビジネスチャンスになると考えられていた。そして、取引に係る大手2社というのが、ナットソースであり、投資銀行のキャンター・フィッツジェラルドであった。この2社は、ざっくりと言ってしまえば、それぞれトレーダーとブローカーという異なるビジネスモデルではあったが、温室効果ガスの排出権を扱う点では同じだった。

日本でも京都議定書をきっかけに、排出権取引ビジネスが注目されるようになり、三菱商事がナットソースと、三井物産がキャンター・フィッツジェラルドと提携し、事業化を進めようとしていた。

2000年頃だったが、当時まだ大手町にあった三菱総合研究所において、ナットソースやキャンターのメンバーが来日し、セミナーを行っている。筆者もそこに参加し、英語はよくできないながらも、名刺の交換もさせていただいたことを憶えている。誰もよくわからない未知のビジネスにとにかく向かっていく、ある意味では熱さを持つ時期でもあった。しかし、具体的なビジネス像がなかなか見えないまま、2001年には米国でブッシュ政権が誕生する。米国は京都議定書の削減目標は順守しないということだった。

こうした中、2001年9月11日に同時多発テロが発生した。キャンターのオフィスはWTC内にあり、この事件によって社員の半数以上が失われたという。筆者が名刺を交換した方も例外ではなかった。

このことは、気候変動問題について取材してきた筆者を多少なりとも打ちのめすことではあった。


参照:Diorit, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

対テロ戦争のグローバルな不毛さ

WTCには日本の富士銀行(現みずほ銀行)などのオフィスもあったことから、金融関係者には少なからずダメージを与えていた。証券会社でクリーンファイナンスを担当していた知人は、当時友人の結婚式で米国にいたということもあり、この事件をかなり引きずっていたという。

一方、キャンターの会長はその日、孫の入学式だとかで休暇をとっており、事件の遭遇を免れたものの、そのことが黒い噂ともなった。

ブッシュ政権はこの事件に対抗するため、主犯とみられるアフガニスタンの政治組織タリバンとの戦争を開始した。20年という時間を経て、この一連の動きを見たときには、ブッシュ大統領の判断は正当化できないと考えられる。戦争によって、同時多発テロ事件以上に多くの死者を出した。しかもその死者はテロの犠牲者として名前をよばれることもない。そして20年後の現在、米軍はアフガニスタンから撤退し、タリバンが再び政府を掌握している。何も得られないどころか、タリバンと敵対してきた、より過激なテロ組織のISを成長させてしまったのかもしれない。

この20年間は、米国と中東の関係が変化した時代でもあった。米国ではシェール革命が起こり、原油の中東依存がなくなった。米国が中東への関与を減らす20年間でもあった。

もし、この20年間に気候変動対策が進んでいたとすれば、やはり化石燃料の消費が減少し、国際政治における中東の地位はやはり変化していたと考えられる。とはいえ、それがどのような関係なのかは、想像するしかない。一方、シェール革命の米国は天然ガスの価格が下がり、期せずしてCO2排出量が多少なりとも減少することになる。

本当に想像するしかないのだが、もしこの20年間に対テロ戦争がなかったら、国際社会は中東とどのような関係を築いていたのだろうか、と思う。中東の脱石油シナリオも変わっていたかもしれない。同時に、そのためには米国はブッシュとは異なる大統領が必要だったとも思う。言うまでもなく、そこに該当するのは「不都合な真実」の著者でもある、アル・ゴア元副大統領だ。もちろんゴアが、同時多発テロにどのように対応したかはわからない。同じ行動をとった可能性もある。とはいえ、今さら「もし」を考えても現在は変わらない。


参照:Diorit, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

20年遅れのカーボンプライシング

20年後の現在、世界は軍事的、経済的、そして気候変動による安全保障が重要な課題となっている。そうした中、排出権取引を含む、グローバルなカーボンプライシングはようやく動き出したといえる。米国が導入に前向きとなり、炭素国境調整も現実味を帯びている。日本政府も導入を検討せざるを得ない状況だ。政治的に米国と対立する中国ですら、排出権取引制度を導入した。

産油国は本気で将来を考えなくてはならなくなっている。石油が売れない時代に、どのように生き残っていくのか。

ESG投資は拡大を続け、お金はより持続可能な方へ流れようとしている。それは、気候変動に留意するだけではなく、人権などへの配慮も含まれる。

20年後の現在、政権を掌握したタリバンに対する見方は、20年前と同じではない。タリバンに対する批難は、テロ組織だからというだけではなく、女性を疎外する組織だから、という見方がなされている。多様性を持たないということで非難されているのだ。

20年前に米国でブッシュ政権が誕生し、同時多発テロが起こり、対テロ戦争が開始された。20年後に米国バイデン政権が誕生して2兆ドル規模のグリーンなインフラ投資がコミットされ、対テロ戦争は終結した。20年前に議論されていた排出権取引を含むカーボンプライシングが、グローバルなものとして動きだすかもしれない。

20年かけて何かが解決されたわけではなく、むしろ気候変動問題は深刻化したといえるだろう。脱炭素化に向けて中東との関係も構築しなおす必要が出てくるはずだ。コロナ危機という新たな課題にも直面している。それでも、大手町で排出権取引セミナーが行われたような、その地点に立ち戻り、あらためて持続可能な世界に向けた取り組みを、やり直すべき時期なのかもしれない。

ヘッダー写真:Diorit, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

もとさん(本橋恵一)
もとさん(本橋恵一)

環境エネルギージャーナリスト エネルギー専門誌「エネルギーフォーラム」記者として、電力自由化、原子力、気候変動、再生可能エネルギー、エネルギー政策などを取材。 その後フリーランスとして活動した後、現在はEnergy Shift編集マネージャー。 著書に「電力・ガス業界の動向とカラクリがよーくわかる本」(秀和システム)など https://www.shuwasystem.co.jp/book/9784798059020.html