激動する欧州エネルギー市場・最前線からの報告 第15回
欧州連合(EU)のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長は、2019年12月12日に、2050年までにEU域内からのCO2排出量を正味ゼロにするための「欧州グリーン・ディール」計画を発表した。欧州の考える「グリーン・ニューディール」とはどのようなものなのか。ドイツ在住のジャーナリスト、熊谷徹氏が詳しく紹介する。
気候保護と経済成長の両立をめざす
正味ゼロ(ネットゼロ)とは、企業や市民が排出するCO2の量が、植林や大気中からのCO2回収によって相殺され、プラスマイナスがゼロになる状態のことだ。フォン・デア・ライエン氏は、今後10年間に官民から1兆ユーロ(120兆円・1ユーロ=120円換算)を投じることによって加盟国のCO2削減努力を強化させ、欧州を世界で最初の「CO2排出量・正味ゼロの大陸」にすると強調している。
同氏が発表した声明は以下のとおり。 「欧州グリーン・ディールは、我々が健康な生活を守り、企業のイノベーション力を高めるために、どのように生活や経済を変えれば良いかを示す行程表だ。したがって、この計画はコストがかかるだけではなく、経済成長にもつながる。EUはCO2削減の筋道を全世界に先駆けて示し、迅速に行動することによって、EUの経済界を気候保護テクノロジーのパイオニアにする。我々はこの計画によって、地球、生物学的多様性、欧州の自然、海、森林を守ることに成功すると確信している。我々は持続可能性と競争力を高め、ベンチマーク(模範)となることによって、他の国々も我々と同じ道を歩むように説得することができる」。https://ec.EUropa.EU/commission/presscorner/detail/de/IP_19_6691
ウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長 © European Union 2019 - EP
温暖化対策はEUの最重要政策のひとつ
欧州では、アジアや北米・南米よりも、地球温暖化や気候変動についての市民の関心が強い。若者たちがCO2の大幅削減を要求するグローバルな市民運動「Fridays For Future(フライデーズ・フォー・フューチャー)」が始まったのも欧州だ。ドイツなど一部の国では、地球温暖化問題を軽視する政党の支持率が下がる傾向がある。このため、政府や企業はこの問題に関心を払わざるを得なくなっている。
フォン・デア・ライエン氏は昨年(2019年)12月1日に委員長に就任したばかりだが、同氏はグリーン・ディールの発動により、CO2削減を、EUの最も重要な政策目標のひとつにするという決意をはっきり示したことになる。
欧州グリーン・ディールによると、EUは2020年3月に初めて「欧州気候保護法」をEU法として制定し、各国に対してCO2削減を事実上義務付ける。2050年の正味ゼロを達成するための中間目標として、EUは2030年のCO2排出量を、1990年比で50~55%減らすことを目指す。これまでの目標は、2030年までに40%削減だった。つまりフォン・デア・ライエン氏は、削減目標を大幅に厳しくしたことになる。
ちなみにEUは2016年に、パリ協定の目標達成をめざして「Clean Energy For All Europeans package」という法案パッケージを発表している。このパッケージは、エネルギー効率の改善や再生可能エネルギーの拡大など8つの法律から成っている。EUはこの中で、最終エネルギー消費量の中に再生可能エネルギーが占める比率を、2030年までに32%に高めることや、2050年までに建物の暖房や冷房を非炭素化することを目標として設定していた。欧州グリーン・ディールは、これらの目標をさらに厳しくする可能性もある。
エネルギーのグリーン化を重視
EUは、エネルギー業界、製造業界、運輸・交通、農業などの分野でイノベーションを促して、CO2の排出量を減らす。その中で最も重視されているのが、エネルギー業界だ。EUの温室効果ガスの75%は、エネルギー業界から排出されているからだ。
たとえばポーランドやチェコなどの東欧諸国では、今も褐炭・石炭がエネルギー源として大きな役割を占めている。これらの国々が脱石炭を実施し、再生可能エネルギーによって代替するには多額の資金が必要になるが、自力でエネルギー転換を行うには限界がある。このためEUは褐炭・石炭依存国に対し、数10億ユーロ単位の支援措置を強いられる。
またこれらの国々がエネルギー転換を実施する場合、褐炭採掘や、褐炭・石炭火力発電事業に従事している人々の雇用が脅かされる。EUはこれらの労働者たちが他の仕事に就くことができるようにするための職業訓練や、褐炭採掘地域の産業構造の転換などにも、力を入れなくてはならない。各国政府は、気候保護によって、失業者が増えるような事態を避ける努力が必要になる。さもなければ、エネルギー転換は市民の理解を得ることができないだろう。
資料=statistaをもとに編集部作成
再生可能エネルギーの拡大を柱に
さらにEUは、電力、暖房、交通など様々なセクターを組み合わせる「セクター・カップリング(セクター連携)」によって、再生可能エネルギーの効率的な拡大をめざす。具体的には、風力や太陽光で作られた電力を水素やメタンガスに変換することによって蓄積を可能にする、「パワー・トゥー・ガス(P2G)」技術の実用化へ向けた研究開発を促進する。
また現在製鉄業界や化学業界は、化石燃料を主な熱源として使っているが、将来は再生可能エネルギーによる熱源を導入するための方法も研究する。またEUは再生可能エネルギーの中でも、特にオフショア風力発電の拡大に力を注ぐ方針だ。
現在CO2排出権取引は、エネルギー業界と製造業界、欧州諸国間で旅客便を運用する航空会社に限られているが、EUはこれを域内の貨物船など船舶にも拡大することを検討している。またグリーン・ディールには、アパートの暖房効率を改善するための窓やドアの修理費用の助成措置、植林事業の拡大、製品のリサイクリング措置の強化、EV充電施設の拡充、再生可能エネルギーを使った新しい合成燃料の研究開発、ガソリンやディーゼルエンジンの自動車からのCO2の排出量に関する規則の厳格化、公共交通機関の拡充を含む新しいモビリティー戦略の策定など、様々な措置を盛り込んでいる*。
巨額の投資の必要性
EUは、これらの措置を実行するためには莫大な投資が必要だと認めている。EUの推計によると、「2030年までにCO2を90年比で50~55%減らす」という目標を達成するだけでも、今から11年間にわたり、毎年2,600億ユーロ(31兆2,000億円)の追加的な投資が必要になる。これは2018年のEUの国内総生産の1.5%にあたる額だ。
EUは、「この資金は政府と民間経済の両方から支出される」としており、2020年の春には具体的な投資計画を発表する予定だ。中長期的にEUは、総予算の25%を地球温暖化対策にあてる方針で、EUの融資機関である欧州投資銀行(EIB)などが、出資することになる。ただし民間経済がどの程度の額を出資することになるのかは、まだ明らかにされていない。
フォン・デア・ライエン委員長は、2019年12月11日付のドイツの保守系日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)に寄稿し、こう語った*。
「ドイツでは旱魃や森林火災が増えている。アフリカやアジアでは砂漠化が進んでいる。海面の上昇は、欧州の都市や南太平洋の島々を脅かしている。こうした現象は過去にもあったが、現在ほど頻繁かつ急速に進む時代はなかった。科学者たちは、地球温暖化の進行を人類が食い止めることは可能だが、そのためには今行動を起こさなくてはならないと主張している。欧州市民の10人の内9人は、気候保護のためのメカニズムを作るべきだと主張している。我々の子どもたちは、我々に行動を起こすように求めている。欧州グリーン・ディールは、市民たちの要求に対するEUの回答だ」。
「子どもたちの未来のために」
欧州グリーン・ディールは、極めて野心的な内容であり、各国に対して産業構造や生活の一部を変えるよう求めるものだ。フォン・デア・ライエン氏は、ベルギー生まれのドイツ人だ。彼女の態度は、環境保護大国ドイツの哲学を、欧州全体に拡大しようとしている印象も与える。
これらの政策は、環境意識が高いドイツやオランダ、北欧の国々では市民の理解を得られるかもしれないが、イタリアやギリシャ、東欧の国々でも人々が賛同するかどうかは未知数だ。さらに米中・米欧間の貿易摩擦などの影響で景気の先行きに警戒信号が灯っている今、地球温暖化のために何兆円もの資金を捻出することが可能かどうかという問いにも、まだ答えが出ていない。
だが欧州の知識階級、政治家、指導層の、気候変動に対する危機意識は強い。
2019年11月28日に欧州議会は、「気候非常事態宣言」を発令し、EU加盟国政府に対して地球温暖化対策を強化するように要求した。気候変動はグローバルな問題である。我々日本人も、「欧州は神経質すぎるのではないか」と他人事のように一蹴するのではなく、フォン・デア・ライエン氏の「子どもたちの未来のために地球を守るべきだ」という訴えに耳を貸す必要があるのではないだろうか。