京都大学 安田陽特任教授に聞く(1) 後編はこちら
災害が起こるたびに、非常用電源として注目される「蓄電池(バッテリー)」。もちろん、再生可能エネルギーの発電変動の調整にも使われ、モビリティ用のそれも開発競争は激化し、ますます社会になくてはならないものとなっている。
その蓄電池について、"さまざまな用途に活用できる優れたデバイスである"ことを認めながらも、「日本では適切に使われていないのではないか?」と厳しく問い続ける人物がいる。京都大学大学院経済学研究科 再生可能エネルギー経済学講座の安田 陽特任教授だ。安田氏に経済学の観点を含め、蓄電池のあり方、今考えられる適切な使用方法に対する考えを聞いた。
台風15号の影響で、今も千葉県内では広域停電が続いています(9月12日現在)。こうした災害が起こると、必ず、蓄電池を非常用電源として備えておけば…という話になります。
この問題を議論するにあたっては、蓄電池を開発する側のメーカーや産業界と、買う側の特に一般家庭で思惑が大きく異なるため切り分けて考える必要があります。災害を経験した一般家庭が、「蓄電池を設置しなくてはならない」と危機感を抱くことはごく自然なことです。しかし、ここで考えてほしいのが、「科学的に合理性があるのか?」ということです。
京都大学 安田陽特任教授
合理的かつ科学的な根拠を導き出すには、災害がどの程度の頻度で起こるのかといった発生確率、蓄電池を導入したことにより防げた被害の総額、それに見合う投資額はいくらかといった費用対効果、特に非常用の場合はメンテナンス費用も含めて考えなければなりません。これらを最適化せず、感情にとらわれると不安商法につけ込まれてしまいます。本来はメーカーや自治体がこのような冷静な判断をするようにユーザーに促すべきだと、私は思っています。
もう一つの問題が、地方自治体が災害名目で出す蓄電池への補助金です。補助金が出れば、人々は「うちも付けなきゃ」「つけないと損をする」という気分になります。こうして、非常用蓄電池が地域内に増えたとしましょう。
ご存知の通り、蓄電池は発火する可能性のある“危険物”です。合理的な判断よりも先に不安感で設置された蓄電池は、(そのまま災害が長く起こらなければ)一般家庭の倉庫や軒下に何年も置かれることになります。場合によっては定期点検もされず雨風にさらされるかもしれない。十分な安全対策やメンテナンス制度がないと、何年後かには火災を引き起こすリスクもあるのです。
一時的な不安から蓄電池を設置すると、かえって地域に負の遺産を残すことになりかねない場合もあります。行政や自治体には、補助金を出すにしろ、コスト・ベネフィット分析に基づく責任があります。
では、今回のような停電に対して何の対策もできないか、というと、そうではありません。
例えばスマホやラジオの充電であれば非常用の手回し発電機やポータブル太陽電池があります。酷暑や極寒時の対策には電気による冷暖房に頼るだけでなく住宅の高断熱化という選択肢もあります。ほかのソリューション(解決策)を検討せず、「災害があったから即、蓄電池を導入する」というのは合理的選択ではないということです。
ただ、EV(電気自動車)の蓄電機能については、固定型の蓄電池とは違って、非常用電源として使わない手はないと考えています。EVの本来の役割は輸送することで、災害時に電力系統を助けるのは副業だからです。電力系統側からみると、既存デバイスを使っていることになりEVの限界コストはほぼゼロで、経済的です。
私は電力工学が専門であり、蓄電池が世界中の電力システムの中でどのように使われているかを調査・研究しています。日本では、蓄電池を再エネの発電変動の調整用として主に使っており、最近では前出のように災害用の非常電源に使う議論が高まっています。再エネ調整用としての使い方についても、それが本当に合理的な選択かどうか、前出の災害用と同じことが言えます。
蓄電池を日本のように再エネの変動対策専用に使っている国は、他にほとんどありません。現在のビジネスモデルを続けていたら、日本は間違いなくガラパゴス化するでしょう。デバイス自体は安い韓国や中国製品に取って代わられ、蓄電池を運用するシステムやプラットフォームは、アメリカやドイツにもっていかれてしまうでしょう。
日本と他国との大きな違いは、他の国々が蓄電池をあくまでもエネルギー利用全体の中の一つのツールと位置付けている点です。
2015年に『SmartGridニューズレター』という専門雑誌で「欧州の風力発電最前線―もしかして日本の蓄電池開発はガラパゴス?」という記事を書きました。その際に、日欧米のエネルギー貯蔵システムの開発動向を比較したのですが(図)、これを見ると、欧米がさまざまなシステムを併用しようとしているのに対して、日本は蓄電池一色だとわかります。ほかの国々にとって蓄電池は、あくまでエネルギーのシェアリングエコノミーや市場取引をするための有効なツールの一つです。リスクを分散させるためにも熱貯蔵や機械式など、他の選択肢も用意しておく必要があるというわけです。
系統に連携されているもので運用中・計画中を含む。欧州は欧州電力系統事業者ネットワーク(ENTSO-E)加盟国34ヶ国の合計データ。
出所:DOE Global Energy Storage Databaseのデータより筆者作成〕
出典:https://sgforum.impress.co.jp/article/1632
例えば、南オーストラリア州の発電所にテスラ社の大容量蓄電池が導入されたというニュースも伝わってきています。これを聞くと日本では「これからは蓄電池の時代だ」といった風潮に陥りがちですが、南オーストラリア州の特殊な電力事情が背景にあることは見落とされがちです。
この地域はほぼ孤立した電力系統で、風力発電が発電電力量ベースで40%近く入っている。余剰電力を貯めておくには揚水発電所が有効ですが、適地も少なくその建設には時間がかかります。こうしたさまざまな理由から、短期間で建設が可能な大容量蓄電池が選択されたのです。
では、日本で蓄電池はどのように利用したらいいのでしょうか。20年後も30年後も、蓄電池が日本のお家芸であり続けるためには、まずは欧米と同様にプラットフォーム作りを押えることが肝要です。しかし、いまだに日本のこうした動きは伝わってきません。
次の表は、2010年にアメリカの電力中央研究所が出した報告書に掲載されたものですが、この時すでに、蓄電池をどう使うのか、プラットフォームや社会システムが議論されています。蓄電池にはこのように、日本で考えられているよりもより多くの利用用途が考えられていることに驚かされます。
このように、海外では電力市場で蓄電池をいかに活用するかがより広く考えられており、再エネや災害時の非常電源としても使うのは、その中のあくまで一部なのです。そのことが日本で知られてないことが問題です。
スピニングリザーブ:部分負荷運転中など並列運転中で事故などの際にすぐに応答できる発電機の余力
〔出所 EPRI:White Paper(2010)の表より抜粋して著者翻訳〕
蓄電池の利用に関して、日本が近視眼的になってしまうのは、日本に「科学的に考える人」が少なくなっているからではないかと私は思うのです。科学的というと日本ではものづくりばかりが注目されてしまいますが、肝心のしくみづくりが科学的であるかどうか、日本全体で問い直す必要があります。それに加え、日本語で常識のように語られていることが、もしかしたら海外では違うかもしれないという意識が、国会議員や企業のトップ、ジャーナリスト、研究者にも欠如していることが大きな問題です。
さらに、電力に対してマーケット(市場)という概念が乏しいことも日本の問題です。電力は市場取引されるものですから、価格が安い時に貯め、高い時に売って儲けていいのです。そのためのツールとして、電力市場の中で、蓄電池はその価値が認められています。欧米では、市場取引を重視しているため、取引が正しく機能するように透明性、非差別性、公平性を守るためのルール作りも、国や規制機関が強力に推進しています。
最近、需要家それぞれにあった電力を提供する「アグリゲーター」という職業が注目されています。この人たちが再エネを安心して扱えるのは、バイオマスも太陽光も揚力も風力もあって多様なポートフォリオを担保し、変動する再エネに柔軟に対応してリスクヘッジができているからです。そこにプラスで蓄電池もあるのですが、蓄電池はあくまでポートフォリオの一つの要素にしか過ぎません。
このようにして電力は健全に市場取引されるのですが、日本の電力市場はまだ十分成熟しておらず、新電力や再エネ事業者などの新規参入者が、電力市場はどうあるべきかという議論にほとんど関心を持っていないことに、私は危機感をもっています。
参考文献:
スマートグリッドフォーラム:
https://sgforum.impress.co.jp/article/1586
国際環境経済研究所:
http://ieei.or.jp/2012/06/special201204008/2/
(取材:藤本健 執筆:池田亜希子 撮影:寺川真嗣)
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