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シリーズ 容量市場を考える
京都大学特任教授の安田陽氏は、本サイトのインタビューでも、これまで日本の電力市場のあるべき姿や課題を指摘してきた。今回は、9月に発表された約定結果、およびその後のさまざまな議論を受けて、あらためて日本の電力市場において、容量の確保はどうあるべきなのか、語っていただいた。(全2回)
―最初に、9月に公表された、2020年度の容量市場オークションの約定価格ですが、上限に近い1万4,137円/kWでした。この結果について、どのようにお考えか、その点からお願いします。
安田陽氏:上限価格がそう設定されているので原理的には予想可能な範囲内であり、むしろ多くの方が驚いていることに、私自身は驚いています。
そもそも、容量市場の需給曲線は価格弾力性が殆どなく急な傾きとなっています。したがって、こうした極端に高かったり極端に低かったりする結果になりやすいことは原理的に当然予想できることでしたし、私も4年前に容量市場の議論が始まったころから容量市場の諸問題を指摘してきました。
また、こうした重要な制度が、メディアにも注目されず十分な国民的議論もなく決められたことも問題です。こうした制度の導入は、本来であれば国会で審議しなくてはならないでしょう。
―容量負担金の総額が約1.6兆円になります。これが省令で決められたことには、確かに違和感があります。ところで、日本の容量市場のしくみは、PJM(米国北東部の地域系統運用機関)を参考にしていますが、約定価格はPJMとは大きく異なっています。
安田氏:日本とPJMには違いがあります。1つは、米国の電力市場には、支配力を持つような巨大電力会社が少なく、寡占の状態があまり見られないということです。
これに対し、日本の電力市場では寡占プレーヤーが発電所の8割を所有しています。こうした市場に容量市場を導入すると、透明で公平な競争が難しくなると考えるのが自然です。
―そうであるにもかかわらず、PJMを参考に容量市場を導入したということですね。
安田氏:はい。もう1つは、米国のPJMは強制プール制をとっていることです。発電事業者は(発電した電気の)すべてを取引市場に供出します。これに対し、日本の電力市場は欧州型の分散型市場(複数の民間市場が存在することや相対取引も併せたしくみ)を取っています。日本は相対取引が可能だし、大手電力の発電部門と小売り部門との間の社内取引もできます。したがって、日本の容量市場の制度は木に竹を接いだような制度になってしまいました(図1)。
(図1)
さらに、PJMの各州は、「大きな政府」を志向しがちなブルーステーツ(民主党が優位な州)です。一方、テキサス州はレッドステート(共和党が優位な州)です。したがって、「小さな政府」を志向し、政府の介入はなるべく少なくしようとする。テキサス州のERCOTという独立系統運用機関が容量市場を導入していないのもそのような市場に対する考え方があるからでしょう。
日本は自由主義を掲げている政党が政権を取っているにもかかわらず、計画経済的で政府の関与が大きい容量市場が導入されたということ自体が不思議だとも言えます。「容量市場は社会主義的だ」という市場プレーヤーからの指摘が欧州や北米ではしばしば聞かれますが、容量市場は官製市場であり、本来、自由市場のプレーヤーから反対の声が上がりやすいのは当然です。
私自身は容量市場の理論自体は否定しませんが、木に竹を接いだような制度では、理想論通りに運用するのは極めて難しいと言えます。
―では、あらためて、容量市場そのものについて、どこが問題なのでしょうか。
安田氏 容量市場は理論通りにいけば理想的ですが、結果的にチートな(抜け道を探そうとする)プレーヤーがレントシーキング(超過利潤を得る活動)をしやすい制度になっていると言えます。
その背景には、情報の非対称性があります。仮に政府がどんなに清廉潔白で公平公正に制度設計したとしても、私企業の価格情報を全て把握することは不可能です。情報の非対称性を利用したチートなプレーヤーの行動を監視し抑制することは多くの困難を伴います。しかも、市場そのものが複雑なシステムなので、今回のような極端な約定価格になっても、原因がわかりづらくなります。その意味では、容量市場は「市場」という言葉を隠れ蓑に不透明なシステムになりやすいのです。市場設計は性善説ではやっていけません。
そもそも何故、容量市場が必要かという根本問題に立ち返ると、アデカシー(通常時の供給信頼度)の確保や希頻度でしか起きない需給ひっ迫への対応というリスク対応やコスト割当の問題に遡ります(図2, 3)。
(図2)
(図3)
アデカシー確保の方法論ということであれば、他の方法もあります。容量市場を含めた他の方法は「容量メカニズム」と言われます。似たような用語なので紛らわしいですが、前者だけでなく後者の選択肢はさまざまあるという点が重要です(図4)。
日本では容量市場ありきの議論はあっても容量メカニズム全体の議論があまりにも少ないと言えます。
(図4)
アデカシー確保や稀にしか起きない需給ひっ迫時をどうするかというリスクマネジメントが、この容量メカニズムの議論の本質なのです。そうであるにもかかわらず、他の方法を十分検討せず、なぜわざわざ失敗しやすい容量市場という制度を選んだのか、そういった問題もあります。
そもそも、容量市場について世界中で問題点を指摘する人が多いにもかかわらず、日本では容量市場を推奨する側から「政府の失敗」の可能性に対してリスク対策の議論があまり聞こえてこないのも問題です。
さらに根本的な問題は、審議会そのものが内外の学術文献をあまり引用してくれていないという、日本そのものが抱える問題があります。
―審議会のあり方についても問題があるのですね?
安田氏:審議会に関しては、発電事業者が1回のみでなくほぼ毎回委員やオブザーバーとして参加していることも問題があります。電力広域的運営推進機関の委員会も同様です。PJMのような独立系統運用機関では、意思決定の場に発電事業者を入れてはいけないことになっています。それ故、独立という名前がついているわけです。この点は、PJMをお手本にしていながらPJMと決定的に違う点であるとも言えます。発電事業者が意思決定の多くの部分に関与しているにもかかわらず、市場運用者と発電事業者の間に不透明な関係は一切ないというのは、無理があります。
今回の約定価格について、「市場が決めた」という発言もありますが、実際には多数のプレーヤーの自由意志の結果としての「神の見えざる手」ではなく、シングルバイヤー市場かつ寡占状態だということが問題です。容量市場は、買い手が電力広域的運営推進機関ただ一人であるシングルバイヤー市場なので需要曲線が恣意的に決められやすく、寡占状態の発電事業者の思惑が入り込みやすいと言えます。少数のプレーヤーの行動や影響力がたとえ悪意がなかったとしても全体に波及してしまいやすいという本質的問題を抱えています。そのようなリスクに対して、容量市場はさまざまな容量メカニズムの選択肢の中で最も脆弱で透明性が低い制度だと言えるでしょう。
―ドイツの電力市場もまた、容量市場を導入していないと言います。
安田氏 はい。ドイツは国民的議論の末、2016年の段階で容量市場は採用しないことを決定し、戦略的予備力というしくみを採用しました。
ドイツには褐炭火力発電所がありますが、CO2排出削減のためとはいえ、国内炭鉱労働者に配慮しなければならないためこれを強制的に閉鎖することはできない。同時に、市場支配力を行使しがちな大規模プレーヤーにレントシーキングさせない。そこで、対象となった褐炭火力発電所などに対してはお金を払い、通常は運転せず、本当に必要なときにだけ発電するようにしました。
もちろん、戦略的予備力も万能でなく、これはある意味では、妥協の産物ともいえます。すべての方法について、いずれも完璧ではありません。それでも「大きく失敗するリスクが少ない」「失敗しても修正がしやすい」という点では、この方法は優位性があると思います。
―容量市場には別の問題もあります。再生可能エネルギーの増加によって稼働率が下がるのは、調整力を持った電源であり、その維持が目的だと思います。しかし実際には、石炭火力などのベースロードが温存される傾向があると思います。
安田氏:最初に確認しますが、日本ではよく、「kW価値」という言葉が使われていますが、これは完全にガラパゴス用語で、海外ではほとんど使われていません。試しに “kW Value” と検索してもほとんど日本人が書いた論文や資料ばかりです。そもそも、kW価値だけではなく、kWh価値やΔkW価値といった用語も国際議論ではほとんど登場しないのです。したがって、日本で最近流行りの「kW価値」を前提とした議論は、根本的に国際的議論からずれていると指摘できるでしょう。
もちろん、必要な容量(kW)を確保するということは重要で、前述の通り欧米でも日本でもアデカシーの検証が行われています。似たような用語としては「容量価値」あるいは「容量クレジット」という言葉が国際的議論では登場します。これは、VRE(太陽光発電や風力発電など変動する再生可能エネルギー)にも定格容量の100%ではないにせよ、ある程度(10〜30%程度)アデカシーに貢献する容量の価値があるというものであり、アデカシーの一部としてそれを評価するしくみもあります(日本の広域機関でも「容量価値」という用語は使われていませんが、同じような考え方が採用されています)。
しかし、「kW価値」という日本の独自概念は、再エネではなくベースロード電源を温存したい思惑と結びつきやすくなります。ちなみに「ベースロード」も海外では「死語」になりつつある言葉です。「調整力」という言葉も同様です。国際議論と乖離した独自用語や古い用語を使う風潮は、メディアの方も少し批判的にウォッチした方がよいかもしれません。
―では質問を変えます。再生可能エネルギーの増加によって求められるのは、送配電網に対するフレキシビリティ(柔軟性)なのではないかと思います。しかし、容量市場が確保しているのは、柔軟性のない電源なのではないか、ということです。
安田氏:はい。おっしゃる通り「柔軟性」という概念が重要です。柔軟性は簡単にいうと調整力の上位概念で、変動する需要や再エネに対応するための電力系統の能力ですが、このような国際的に盛んに議論されている用語が日本でほとんど使われず、日本だけが国際議論の蚊帳の外に置かれている状態です。
まずアデカシーの問題に戻ると、そもそも10年に1度といった需給ひっ迫にどのように対応するのか、ということは国際的に議論されています。稀頻度でしか運転しない発電所には誰も投資をしたがらないということで、国全体でどうやってそのコストを負担するかというコスト割当の問題です。ところが、いつのまにか火力発電所の固定費が回収できないというミッシングマネー問題にすりかわってしまっています。しかも新規電源に対する投資が滞るのでその支援をするという議論ならまだわかるのですが、既存電源が対象となると、ベースロード電源など柔軟性に乏しい電源の隠れた補助金となる可能性が出てきます。
いずれにせよ、現在の日本で議論されている「kW価値」に基づく容量市場のコンセプトは、新しい概念である柔軟性が全く考慮されず、石炭火力や原子力などの従来型電源に過度に価値を認め、「隠れた補助金」を得やすいしくみになっていると言えます。
―約定価格が高かったことに関して、期待容量を登録したにもかかわらず、実際には応札しなかった電源が少なくなかったという点は指摘できるのでしょうか。
安田氏:今回は、稼働が難しいと考えられる原子力については、応札しなかったという理由もあると思います。今存在する(廃炉を予定していない)電源が容量市場に応札しなかったことは、結果的に売り惜しみと同じ行為になってしまいます。来年は原子力も応札するかもしれません。しかし、そうすると今度は、約定価格は下がるかもしれませんが、再稼働するか不透明な電源がお金をもらうことになり、別の問題が生じます。石炭についても同様で、石炭の入札を制限すると約定価格は高止まりする可能性があります。いずれにせよ、どう転んでも石炭と原子力を両方持っているプレーヤーに有利なしくみです。
(後編に続く)
(図はすべて、2020年11月19日開催のWebinarシリーズ「地域分散型エネルギーシステムと電力システム改革」 第2回 『再エネ大量導入時代の電力の安定供給 〜容量市場を工学的観点から評価する』講演資料からの引用)
(Interview & Text:本橋恵一、小森岳史)
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