日本でも、最近になって炭素税や排出権取引などのカーボンプライシングについての議論が始まっている。一方ドイツでは、これまでのEU-ETS(EU域内排出権取引制度)に加え、今年2021年から、独自に運輸部門と建築部門における暖房について、カーボンプライシングを導入する。どのような制度なのか、また課題はあるのか、ドイツのエネルギー専門メディアのClean Energy Wireから、ジュリアン・ヴェッテンゲル記者の記事を、環境エネルギー政策研究所(ISEP)研究員の古屋将太氏の翻訳でお届けする。
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ドイツ政府は、気候変動対策の目標の達成に向けて、2021年から輸送部門と建築部門の温室効果ガス排出量に価格を設定することが決定している。まずは固定価格でスタートし、毎年引き上げられた上で、2026年以降は排出枠の入札が行われる。このファクトシートでは、制度の詳細、2021年の選挙キャンペーンにおける改革案、法的な疑問点、予想される分配効果、さらには新しいEU排出量取引制度への統合の可能性について解説する。
ドイツにおける新たなカーボンプライシング制度の導入により、2021年初頭からガソリンやディーゼルなどの燃料に対する消費者の請求額が1リットルあたり数ユーロセント増加している。この制度は2019年に燃料排出量取引法(Brennstofthemissionshandelsgesetz – BEHG:CO2価格法)としてドイツ議会が採択したもので、主に暖房や輸送に使用される燃料が対象となっている。今回のカーボンプライシング制度は、この法律が改正され、新たな制度として導入されるというものになる。
ドイツは、他のEU加盟国と同様に、欧州排出量取引制度(EU-ETS)に参加している。この制度は、発電所、エネルギー集約型産業(石油精製、鉄鋼、アルミニウム、セメント、紙パルプ、ガラスなど)、および欧州域内を運行する民間航空会社からの温室効果ガスの排出量に総量規制をかけている。EU-ETSは、世界中で増え続けているカーボンプライシングの取り組みのひとつだ。世界銀行が発行しているレポート「State and Trends of Carbon Pricing」の最新版では、2021年には全世界で64種類のカーボンプライシング手法が導入されているという。
しかし、2021年までは、輸送部門と建物の暖房部門から排出される温室効果ガスには、ドイツを含むEU全体での価格が設定されていなかった。この2つのセクターは、暖房用の石油、天然ガス、ガソリン、ディーゼルなどの化石燃料に大きく依存している。同時に、これらのセクターは、2020年のドイツの温室効果ガス排出量の3分の1以上を占めていた。
輸送用・暖房用燃料の国内排出量取引制度は、EU-ETSと併存し、ETSに含まれない温室効果ガスの大部分をカバーする。ETSですでに対象となっている燃料が、新システムでも価格が設定される場合には、排出量の重複が生じる。これを是正するため、この法律においては、企業が払い戻しを受けることがすでに規定されている。さらに、今回の追加規制では、企業が二重に支払う必要がないようにするためのものとなっている。
新システムは、連邦政府がEUで規定された非ETS分野の年間総排出量目標に合わせて、輸送および暖房用燃料の年間総排出量制限を設定する「キャップ・アンド・トレード」方式を採用する予定。EUのエフォートシェアリング制度では、すべての非ETSセクターを合わせた温室効果ガスの年間排出量制限を規定している。ただし、この制限には、ドイツで計画されている新システムの対象とはなっていない、農業におけるメタン排出など、輸送用・暖房用燃料の燃焼によらない排出も含まれている。
新システムにおける排出枠は譲渡可能で、取引も想定されている。排出枠は、将来は入札で分配されるが、2021年~2025年の段階では固定価格で企業に販売される。
連邦政府によると、このシステムを導入することで、行政手続きの増加や必要なインフラの設置などにより、企業全体で年間約3,100万ユーロのコストがかかるという。また、所管する政府機関は、ドイツ連邦環境庁(UBA)となる。
排出枠の価格は次のように設定されている。
ドイツでは2021年9月26日に総選挙が行われ、選出された新しい議員による議会で、次期政権が決定される。2045年カーボンニュートラルが決定された後、総選挙を前にして、各政党は当初の固定価格の引き上げをより野心的なものにすべきかどうかについて激しく議論している。緑の党やドイツ保守党は、排出枠の価格をより厳しいものにすることを主張しているが、SPDや左翼党は、これ以上の引き上げは、特に低所得者層に負担を強いることになると警告している。
また、各党は次の立法期間にこの歳入をどのように使うかについても議論しており、再エネ賦課金の廃止や市民への一人当たりの電気料金の補助などが考えられている。カーボンプライシング制度の改革は、新政権が発足した後に行われる可能性が高いと思われている。
ドイツのカーボンプライシング制度は、欧州連合(EU)の新しい制度の青写真になるかもしれない。EUは2030年の温室効果ガス削減目標の引き上げを決定した後、この新たな野心的目標を実現するための対策や手段を必要としているからだ。
欧州委員会は2021年7月14日、2030年に温室効果ガスを55%削減するという新たな目標を達成するための改革提案パッケージ「Fit for 55」を発表した。欧州委員会が提案しているのは、2025年から運用を開始し、2026年から排出量の上限を設定するという、ドイツの制度によく似た、交通機関と建物を対象とした、別個ではあるが隣接した上流のEU全体の排出量取引制度の設定だ。
加盟国と欧州議会は、欧州委員会の提案について厳しい交渉を開始する予定であり、このような制度がEUレベルで導入されるかどうか、またどのように導入されるかはまだ明らかではない。こうした状況にあって、ドイツの制度は、EU全体の制度に容易に統合することができるだろうと考えられる。
すでに2019年9月20日からの気候パッケージ決定において、政府はCO2排出量に対するEU全体の分野横断的な価格設定を推進するとしている。これが、削減目標を達成するためのもっとも費用対効果の高い方法だと考えられている。
第1段階としては、フランスなど他のEU諸国が求め、英国が2013年に国家レベルで導入した「穏当な」下限価格をETSに導入したいとしている。ドイツ政府は、「第2段階として、意欲的な他の加盟国と協力して、非ETS分野をETSに統合する」と述べている。
アンゲラ・メルケル首相は、2019年5月にETSで統一されていない分野に対してCO2価格を導入するために、意欲的な国の連合体を形成するというアイデアを提示した。
メルケル首相は、このアイデアについて他のEU諸国から支持を得ていると述べ、「排出量取引の対象外である建物、輸送、農業の分野でのCO2の価格設定を、少なくとも有志連合で可能な限り統一的に規制するために、共通の方法論を見出す方法を再考する必要があります」と付け加えた。
また、メルケル首相は、欧州全体での導入には時間がかかりすぎるため、当初は欧州共通の解決策を目指すものではないと述べた。その上で、同調しそうな国として、現在CO2の価格設定について議論をしているオランダの名前を挙げている。
ウルズラ・フォン・デア・ライアンEU委員長
当初、アンゲラ・メルケル首相が所属する保守的な中東のキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)と中東左派の社会民主党(SPD)の連立政権は、有権者や企業、産業界を怒らせることを恐れて、これらの分野でのCO2排出量に価格を導入する議論を長年にわたって避けてきた。
しかし、2018年夏の干ばつと学生の気候変動抗議活動であるFridays for Futureによって、気候変動対策が政治的議論の最前線に押し上げられ、地球温暖化を緩和し、ドイツを排出量目標の達成に向けて軌道に乗せるための中心的な手段として、カーボンプライシングを検討するよう圧力が高まった。
このような環境の中、数ヶ月にわたる協議を経て、連立政権は2019年9月20日に、輸送部門や建物部門で燃料を燃やすことによって排出される温室効果ガスの国内取引制度の概要を含む、包括的な気候政策パッケージを提示している。
気候変動対策の決定に至るまでの数ヶ月間、連立政党は、SPDが主張するCO2排出量への課税導入か、CDU/CSUが主張する排出量の国内取引制度の導入かを激しく議論した。実際に導入された、最初の数年間は排出枠の価格を固定する取引システムという最終的な提案は、この2つのアプローチをミックスしたものである。
2019年10月、内閣は「燃料排出量の全国排出量取引制度法」の第一次案を決定した。これを連邦議会が若干の変更を加えて採択し、11月29日に連邦参議院がゴーサインを出したことで、発効に向けた最後のハードルがクリアされた。
しかし、政府の気候変動対策パッケージの他の部分が連邦議会と連邦参議院の調停委員会で交渉された後、価格は再び保留された。ほとんどの州政府では連立政権に参加している緑の党は、CO2価格の値上げを要求した。
その結果、12月16日の事前合意で、議員たちはすでに採択された法律を修正し、価格を引き上げることを決定した。値上げは、2020年10月に連邦議会で採択された。
もともと政府は、2021年に10ユーロ、2025年に35ユーロという低価格を提案(国会で採択)をしていたが、「グローバル・コモンズと気候変動に関するメルカトール研究所(MCC)」などの専門家や機関から激しい批判を受けた。彼らをはじめ、企業団体から環境NGOまで、多くのステークホルダーが、2021年以降のエントリーレベルの低価格化を批判している。
MCCは、2026年以降の価格は2025年になってから決定されるため、長期的な計画と投資の安全性が欠如しているとし、これでは「ほとんど舵取りの効果がない」と述べている。そのため、炭素価格が投資やイノベーションに与える影響は限定的であると見られている。
ドイツ経済研究所(DIW)は、CO2価格設定の効果を評価した結果、収入に関連して、貧困層の家計が富裕層の家計よりも負担が大きくなるという結果と発表した。
DIWは、再エネ賦課金の減額や通勤補助の増額などの救済措置が予定されているものの、価格設定システムは国の追加歳入につながるとしている。CO2の国定価格を「社会的に公正」なものにすることが、1トンあたり10ユーロという価格設定をはじめた政府の主要な論拠のひとつとなっている。
連立政権の要求に基づいた妥協案のため、専門家によると、CO2の価格設定システムは法的に厳しいハードルがあるという。新システムでは、将来は取引システムを構築するが、初期の段階では固定価格とすることを想定しており、経済界寄りの自由民主党(FDP)党首であるクリスティアン・リンドナー氏は「偽装のCO2税」と呼んでいることから、排出量に価格をつけるための法的根拠について議論が巻き起こっている。
制度の最終決定に先立って発表された応用生態学研究所(Öko Institut)の法的見解によると、ドイツの連邦憲法裁判所は以前、取引システムがドイツの法律にそっているとみなされるためには、排出量の上限が必要であることを明らかにしている。現在の草案では、システムの初期段階で排出量の上限を超えた場合、ドイツは他のEU加盟国から追加の割り当てを購入するとしている。
環境エネルギー法財団(Stiftung Umweltenergierecht)の会長であるトルステン・ミュラー氏は、10月に法律案が提示された後、ツイッターのメッセージスレッドに「大幅な」変更がなければ、予定されているCO2価格は「違憲の具体的なリスク」を抱えていると書き込んでいる。ミュラー氏は、取引システムにおける固定価格は、炭素税などの他の形態の賦課金の要件を満たしていないと付け加えた。
法律の専門家は、2021年初頭にCarbon Pulse社に、訴訟が起こされることを予想していた。最初の訴訟が準備されており、2021年半ばまでに訴状が提出されることになっていると、Tagesspiegel Backgroundが今年3月に報じている。
記事:ジュリアン・ヴェッテンゲル(Julian Wettengel)Clean Energy Wire記者
元記事:Clean Energy Wire “Germany’s carbon pricing system for transport and buildings”by Julian Wettengel, 10 August 2021. ライセンス:“Creative Commons Attribution 4.0 International Licence (CC BY 4.0)” ISEPによる翻訳
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