エネルギー革命によって私たちの生活は豊かになり、経済は急速に発展しました。しかし、主要なエネルギー資源として使われてきた石炭や石油は多くの二酸化炭素を排出し、地球温暖化を進行させる原因となっています。そのため、石炭や石油などの化石燃料に依存しない「脱炭素化」が求められているのです。
ここでは、私たちの生活を豊かにした第一次・第二次エネルギー革命について解説し、今後実現すべき脱炭素化がどのようなものかご説明します。
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エネルギー革命とは、従来活用していたエネルギー資源が主要ではなくなり、他のエネルギー資源に変わることです。
人類が初めて、エネルギーとして火を利用できるようになったことを「第一次エネルギー革命」と呼ぶ場合もありますが、一般的には主要なエネルギー資源が木炭から石炭へ変わったタイミングを指して、第一次エネルギー革命と呼びます。
ここでは、石炭の活用が本格化したことを第一次エネルギー革命、石油の活用が本格化したことを第二次エネルギー革命として解説していきます。
植物が地熱・地圧により炭化して生成される石炭は、18世紀の産業革命以降からエネルギーとして広く利用されるようになりました。主要なエネルギー資源が木炭から石炭へ転換した理由、および石炭の需要が急拡大した理由としては、以下が挙げられます。
当時、イギリスは木材の伐採により森林が激減し、木炭の価格が高騰していました。そのため、木炭に代わるエネルギー資源として石炭が注目されるようになったのです。イギリスは石炭資源が豊富であり、この頃からエネルギー供給はほとんどが石炭によって行われるようになります。
18世紀後半、イギリスの発明家であるジェームズ・ワット氏の働きにより、蒸気機関が実用化され、工場や交通機関の動力源として活用できるようになりました。
その後、石炭を燃料とする鉄道が石炭輸送を目的として走るようになり、やがて乗客を運ぶための鉄道の運営が開始されることとなります。また、蒸気機関によって進む蒸気船も登場し、鉄道と蒸気船の普及により燃料として消費される石炭は一層増加しました。
外国の商船が日本に来航するようになった幕末の時代、国内でも炭鉱の開発が進められるようになり、石炭産業分野が発展しました。明治時代には鉄道が開通して日本各地に石炭生産地が広がり、上海や香港など海外の石炭需要を受けて輸出も行われるようになります。
1874年の石炭生産総量は21万トンにのぼり、半数以上となる12万トンが輸出にあてられました。石炭生産量は増え続け、1883年には100万トン、1888年には200万トンに到達。明治中期には蒸気機関によって採炭等が行われるようになり、排水や運搬などの工程は機械化が進みます。
その後も石炭産業は拡大の一途をたどり、明治末期には石炭産業の従事者が15万人にまで増加しました。第一次世界大戦後、一度は石炭産業が不況に陥るものの、昭和時代に突入して日中戦争、太平洋戦争が開始した際には石炭需要が回復。
1941年には石炭生産量が日本史上もっとも多い、5,647万トンを記録しています。しかし、1962年には石油によるエネルギー供給が石炭を上回り、間もなく日本にも第二次エネルギー革命の波が訪れました。
第二次世界大戦後、1950年代以降は石炭に代わり、石油が主要なエネルギー資源として活用され始めました。石油のエネルギー効率は石炭より優れていたからです。
1900年代には、アメリカの実業家であるヘンリー・フォード氏が「フォードT型」を大量生産し、それまで富裕層にしか手の届かなかった自動車を庶民に購入できる金額にまで抑え、普及させました。石油の登場は自動車産業を盛り上げ、人々の生活を便利にするとともに多くの雇用を生み出したのです。
また、19世紀後半には電気にまつわる研究が進み、トーマス・エジソン氏によって蓄音機や電球が開発されています。石油や電気による技術革新は第二次産業革命のきっかけとなり、工場の大規模化によって消費財の大量生産が可能となりました。
日本では、政府が石油に重きを置いたエネルギー政策を推し進め、1973年には日本の一次エネルギーのうち80%近くを石油が占めるようになります。国内でも自動車が大衆に広く普及することとなり、石油需要は高まっていったのです。
同時に、石油価格が国際的に安価であったことから、油田開発の中心は国内から国外に移ることとなります。第二次世界大戦後は電力需要が高まったことも相まって、石油を燃料とする火力発電所が急ピッチで建設され、この時代に電源構成において火力発電が水力発電を上回るようになりました。
しかし、1973年10月に起こった第4次中東戦争をきっかけとして、第一次オイルショックが発生。3ヶ月のうちに国際原油価格は約4倍にまで高騰し、日本では石油の供給停止による不安から、トイレットペーパーや洗剤の買い占めが勃発しました。
その後、1978年の第二次オイルショックを乗り越え、あらためてエネルギー資源の安定確保が課題として認識されるようになります。
石炭と石油は、18世紀以降の経済発展を支えたエネルギーであり、いまなお私たちの生活を支える資源です。しかし、石炭や石油などの化石燃料は燃える際、大量の二酸化炭素を大気中に放出します。二酸化炭素は温室効果ガスの一種であるため、地球温暖化の原因となり、排出量を減らさなければ気温上昇による異常気象や生態系の崩壊を招きます。そのため、化石燃料に頼らない「脱炭素化」した社会の実現が急がれているのです。2021年現在、パリ協定が脱炭素化に向けた世界的な枠組みとなっており、以下を世界全体の目標として参加国がそれぞれに温室効果ガスの削減目標を設定しています。
2020年10月には、菅首相が「2050年までに温室効果ガス実質ゼロを目指す」といった主旨の表明をしており、日本においては2050年を目途に脱炭素化が進められる見込みです。
仮にこのまま二酸化炭素の排出量を削減せず、地球温暖化が進行してしまった場合に起こる問題は、以下の記事で解説しています。脱炭素化がなぜ必要なのか理解を深めるための情報として、本記事とあわせてご参照ください。
エネルギー革命によって私たちの生活は豊かになり、経済活動も飛躍的に発展しました。ただし、石炭や石油などの化石燃料が有限の資源である以上、今後もエネルギー資源を化石燃料に頼り続けるわけにはいきません。二酸化炭素を排出し、地球温暖化を進行させる点を差し引いても、化石燃料に頼った現代社会のあり方は持続不可能なのです。
そのため、私たちの世代におけるエネルギー革命では、持続可能な社会を実現するために再生可能エネルギーの普及が不可欠です。太陽光や風力など、枯渇の心配がない自然由来のエネルギーを利用した発電を主要電源にすることで、化石燃料によるエネルギー供給から脱却しなければなりません。
主要なエネルギー資源を木炭から石炭へ、石炭から石油へと変えたエネルギー革命は、経済活動の発展に貢献しました。昨今の私たちの豊かな生活環境は、エネルギー革命によってもたらされた部分が大きいでしょう。
ただし、化石燃料への依存は環境問題を引き起こし、早期に脱炭素化を目指さなければ地球環境は破壊される一方です。まずは私たち1人ひとりが脱炭素化の重要性を知り、個人でも始められる取り組みから実践すべきでしょう。
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