2021年7月に起きたドイツにおける集中豪雨と、これを原因とする広い範囲での洪水は、日本でも報道されているので、知っている方も多いだろう。その被害の大きさもさることながら、異常気象の原因を気候変動だとする見方も少なくない。実際、ドイツではどのような災害となり、世論はどのように見ているのか。ドイツ在住のジャーナリスト、熊谷徹氏が報告する。
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人類の二酸化炭素(CO2)削減が足踏みを続ける中、世界各地で気象災害が多発している。バランスに異常を来した気候は、ドイツの鄙びた町々と住民たちに対して牙をむいた。
2021年7月14日に旧西ドイツを襲った集中豪雨は、過去59年間で最悪の惨事を引き起こした。最も被害が深刻だったラインラント・プファルツ州とノルトライン・ヴェストファーレン州では、7月23日までに178人の死亡が確認された他、155人が行方不明になっている。多くの気象学者が「過去に例のない降水量は、地球温暖化による気候変動によるものだ」と主張しており、国民の間では温室効果ガス(GHG)削減努力を加速するべきだという声が強まっている。
死者・行方不明者合わせて333人という数字は、1962年に北海沿岸やハンブルクを襲った洪水での死者(340人)に次ぐ。「べアント」と命名された低気圧が引き起こした今回の水害の特徴は、ライン川やドナウ川などの主要河川そのものではなく、中規模の河川が氾濫したことだ。
特にラインラント・プファルツ州のアールヴァイラー郡ではアール川というライン川の支流が瞬く間に増水。この町だけで約120人が溺死した。多くの民家が倒壊し、多数の自動車が水没。同郡だけで、75の橋が全壊または激しい損傷を受けた。
アスファルトで舗装された道路の地下の土砂が鉄砲水で押し流され、町の真ん中に地震の後の地割れのような亀裂ができ、水道管や電線が露出した。各地で道路が陥没し、線路や橋梁が破壊されたため、交通網は寸断された。多くの地域にはヘリコプターを使わないと到達できない。水道やガス、電気や通信網などのインフラは、水害発生から約1週間経っても復旧していない。多くの町が,激しい戦闘の後の戦場のような荒れ野に変わり果てた。町の路上には泥をかぶった家具や衣服、書類などの粗大ごみや廃棄物が山のように積み上げられ、足の踏み場もない。
連邦政府は2つの州に非常事態を発令し、連邦軍兵士数千人を被災地に派遣して復旧作業に当たらせている。
ある被災者は「これまで必死で働いて建てた家、貯めてきた財産を全て失った。これが悪夢であること、一刻も早く夢から覚めることばかり望んでいる」と語った。
7月18日に現場を視察したアンゲラ・メルケル首相は、荒廃した現地の様子を見た後の記者会見で、「とても現実の出来事とは思えない、恐るべき状況だ。ドイツ語にはこの惨状を形容できる言葉はない」と述べた。
アールヴァイラー郡シュルト地区のヘルムート・ルッスィ区長は、首相の前で「私たちの暮らしは、1日で変わってしまいました。地区が受けた損害を、私たちだけで克服することはできません」と涙を流した。シュルト地区が受けた経済損害は4,000~5,000万ユーロ(5億2,000万~6億5,000万円・1ユーロ=130円換算)にのぼるが、ほとんどの住民が十分に保険をかけていなかった。メルケル首相は、「ドイツは、地域を中長期的に復興させる経済的な力を持っている。連邦政府と州政府は協力して、一刻も早く全ての被災者に救済措置を講じ、地域の復興に尽くす」と強調した。
保険会社の業界団体ドイツ保険協会(GDV)は7月21日、「今回の水害では、家屋や家財の損害に対する支払保険金が40~50億ユーロ(5,200億~6,500億円)に達し、第二次世界大戦後のドイツで最大の保険損害になる可能性がある」と発表した。これまで支払保険金の額が最も多かったのは2002年8月にドナウ川周辺地域などで発生した水害で、46億5,000万ユーロ(6,045億円)だった。
だがこの数字は氷山の一角である。ドイツの建物・家財保険は、「自然災害担保特約」を買わないと洪水や豪雨による損害をカバーしない。GDVによると、ドイツの家屋所有者の内、自然災害担保特約を持っている市民は46%にすぎない。
さらに道路や鉄道、通信網などインフラの復旧費用は数十億ユーロに達すると予想されている。この集中豪雨は、ドイツだけではなくベルギー、スイス、オランダなど12ヶ国にも深刻な被害をもたらした。
GDV(ドイツ保険協会)を参考に作成
ラインラント・プファルツ州とノルトライン・ヴェストファーレン州の一部の地域では、1時間に1平方メートルあたり150リットルを超える降水量(日本でいう150mmの降水量)が記録された。これは通常の年の7月の平均降水量を大きく上回る量だ。集中豪雨が起きた理由の一つは、低気圧べアントが東と西から高気圧に挟まれたために、移動速度が極めて遅くなったことだ。このため大量の水分を含んだ雨雲が、ラインラント・プファルツ州とノルトライン・ヴェストファーレン州に長時間にわたって雨を降らせた。
死者が異常に多くなった原因の一つは、気象警報が市民に確実に伝わらなかったことだ。欧州洪水警報システム(EFAS)は、水害が起こる4日前の7月10日から25回にわたり、水害発生の危険を各国政府に送っていた。またドイツ気象庁(DWD)も、7月12日に、「7月14日の午後に、ドイツの37の郡に毎時1平方メートルあたり80~200リットルの雨が降る危険がある」という警報を出し、水害リスクを最高度に引き上げていた。これらの警報は、連邦市民保護・災害救助庁(BBK)を通じて、両州の地方自治体にも送られていた。
ドイツでは住民に避難勧告を出す責任者は、市町村の首長である。一部の自治体ではサイレンが鳴ったが、大半の地域では住民は避難勧告などを受ける前に洪水に襲われた。ドイツにはBBKの災害通報アプリ(NINA)や公共保険会社の緊急事態通報アプリ(Katwarn)があるが、2つのアプリのいずれかをスマートフォンにダウンロードしている市民の数は、30%に満たない。またドイツ西部地域の公共放送局WDRについても、「7月14日に市民に対して災害の危険を知らせる放送を十分に行わなかった」という批判が出ている。
これまで自然災害による死者数が、他国に比べると少なかったドイツとしては、異例の事態である。英国レディング大学の治水学者ハンナ・クローク教授は、今回の集中豪雨に関するドイツ政府の対応について、「危機管理システムが、重大な機能不全を起こした」と厳しく批判している。
ドイツではライン川やドナウ川など主要河川の増水・氾濫は時折発生してきた。21世紀に入ってからも、2002年・2013年などに物的に甚大な損害を及ぼす水害が起きたが、100人を超える死者が出たことは一度もなかった。このためドイツの多くの市民は、今回の水害によって「地球温暖化と気候変動が、市民生活に深刻な打撃を与えるようになってきた」という意識を強めている。
公共放送局ドイツ第1テレビ(ARD)が7月22日に公表した世論調査によると、回答者の81%が「気候変動に歯止めをかけるための対策を、もっと強化するべきだ」と答えている。これはラインラント・プファルツ州などで起きた惨事に、市民が強いショックを受けた結果である。
ドイツの政治家たちは、今回の惨事を地球温暖化に結び付ける発言を行っている。たとえばメルケル首相はアールヴァイラー郡での記者会見で「ドイツでの極端な豪雨、気象災害の頻度の高まりは、気候変動との関連を示唆している。したがって我々は、社会を気候変動に適応させる努力を強めなくてはならない。さらに中長期的には、これまで以上に自然と気候配慮した政治を行わなくてはならない」と述べ、今回の大災害が気候変動によるものという見方を明確に打ち出した。
ノルトライン・ヴェストファーレン州のアルミン・ラシェット首相は、今年9月の連邦議会選挙では、キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)の首相候補でもある。彼も被災地を訪れた際に「集中豪雨と干ばつが増えているのは、気候変動の結果だ。今回の水害のような事態は、将来も起こると考えるべきだ。我々は、全世界で気候変動に対処するための政策を加速しなくてはならない」と発言している。
水害の被害の全容が明らかになるには、まだ数ヶ月かかると予想されている。ドイツ人たちにとっては、被災者の生活支援と荒廃した地域の復興とインフラの再建が、喫緊の課題だ。だがこの大惨事が警鐘となり、国民や企業の間でエネルギー業界、製造業界、運輸業界などの非炭素化のテンポを速めなくてはならないという認識が強まることは確実だ。総選挙後に誕生する新政権は、経済のグリーン化を加速する政策を導入するかもしれない。
水害が起きた7月14日は、奇しくも欧州連合(EU)がGHG排出量を2030年までに1990年比で55%減らすための政策パッケージ「Fit for 55」を発表した日だった。この野心的な政策についてのメディアの報道や分析は、大水害に関する夥しい特別番組やレポートの陰に隠れてしまった。しかしこの政策パッケージは、運輸業界などを中心に欧州経済を大きく変える可能性を秘めている。
次回は、EUのGHG削減プログラム「Fit for 55」について、詳しくお伝えしよう。
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