好評のドイツ在住のジャーナリスト、熊谷徹氏の欧州エネルギーレポート。今回は、ドイツの褐炭・石炭への長い間の依存と、それを断ち切る背景を解説します。そこには社会的な地球温暖化への危機感がありました。
ついに期日が発表された脱褐炭・石炭
ドイツは2022年末までに原子力発電所を全廃するが、地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)の排出量を減らすために、遅くとも2038年までに褐炭・石炭火力発電所の使用もやめることを決定した。いよいよ再生可能エネルギーがドイツ経済の主役となる。エネルギー転換の本番は、これからだ。
発電量の半分近いベースロード電源と訣別へ
今年(2019年)1月26日にドイツ政府の諮問委員会は、最終報告書の中で遅くとも2038年末までに褐炭・石炭による火力発電所を全廃することを提言した。
現在ドイツの褐炭・石炭火力発電所の設備容量は42.7GW。同国はこれを2022年までに30GW、2030年までに17GWに減らす。
そして2032年に電力需給の状態などを検討して可能と判断されれば、2035年に前倒しして褐炭・石炭火力発電所の使用を停止する。
現在ドイツは発電量の約35%を褐炭と石炭に依存している。原子力(約12%)に並ぶ重要なエネルギー源である。
褐炭・石炭・原子力は常に使用できる電源、つまりベースロード電源として、産業界にとって重要な役割を果たしてきた。だがドイツは今後19年間で、発電量の47%をまかなうそのベースロード電源に別れを告げ、風力や太陽光などの自然エネルギーによって代替するのだ。
メルケル政権はこの提言を実行することによって、「2030年までに温室効果ガスの排出量を1990年比で55%減らす」という目標の達成をめざす。また政府は、2030年に再生可能エネルギーが電力消費量に占める比率を現在の38%から65%に引き上げる方針だ。
ドイツは2050年までに、電力消費量に再生可能エネルギーが占める比率を80%に高めるという目標を法律に明記している。(残りの20%は天然ガス火力発電所などによってまかなう予定)
地球温暖化への強い危機感
日本に比べると、ドイツなど欧州諸国では地球温暖化と気候変動に対する市民の関心、危機感ははるかに強い。
欧州の大都市では今年に入って毎年金曜日に生徒たちが学校に行かずに、地球温暖化に歯止めをかけるようデモを行うようになった。
スウェーデンの高校生グレタ・トゥーンベリさん(16歳)が去年(2018年)8月にストックホルムの議会の建物の前にたった独りで座り込んで始めた抗議運動「気候を守るための若者のストライキ」は、瞬く間に世界中に広がった。
グレタさんが2019年3月1日にハンブルクの金曜ストに参加した時には、1万人の市民が集まった。3月15日に初めて世界規模で行われた金曜ストには欧州、アジア、米国など約120ヶ国で約160万人の生徒らが参加した。
多くの市民がネット上に公表されているソフトウエアで、自分の生活から1年間に排出されるCO2の量を計算している。生活をどう変えれば、CO2削減に貢献できるかを知るためだ。「CO2排出量を増やしたくないので、バカンスに行く時には、飛行機には乗らない」という市民もいる。
石炭依存度が高いドイツの苦悩
実はドイツの脱石炭決定は、他国よりも遅れた。
褐炭はCO2の排出量が多いため、ドイツの環境団体や緑の党からは目の敵とされてきた。ドイツ連邦環境局(UBA)によると、同国の温室効果ガス排出量はEUで最も多い(2016年実績=9億9,000万トン)。
ドイツ石炭業界の統計によると2017年のドイツの褐炭採掘量は11億7,130万トンで世界最大だった。露天掘りが可能な褐炭は、ドイツで最も調達・発電コストが安いので、19世紀以来の同国の経済成長を支える重要なエネルギー源だ。1990年には、褐炭と石炭の発電比率は56.7%にまで達していた。
このように褐炭・石炭への依存度が高いため、ドイツは脱石炭の期日をなかなか決めることができなかった。
フランスは2017年10月に、2021年までの脱石炭を決定し、英国は2018年1月に2025年までに石炭火力全廃の方針を打ち出している。ドイツの2038年という全廃期日も、他国に比べると遅い。
ドイツの脱石炭の期日発表が遅れた大きな理由は、英仏が原発によって石炭を容易に代替できるのに対し、ドイツは2022年末までしか原発を使えないためである。
地球温暖化に歯止めをかけるための2015年のパリ協定を強力に支援しているドイツは、これ以上脱石炭の期日の発表を遅らせることはできなかった。
また、ドイツ政府は、2020年までに「温室効果ガスの排出量を1990年比で40%減らす」という目標を持っていた。しかし、2011年以降次々に原発が停止した中、電力会社が老朽化した褐炭・石炭火力発電所をフル稼働させたため、達成できないことが確実だ。そのためメルケル政権は、「2030年までに55%減」という目標を絶対達成したい事情もある。
脱石炭の費用は約10兆円
今回の提言の特徴は、脱石炭によって雇用に悪影響が出る褐炭採掘地に莫大な「補償金」が投じられることだ。
旧東ドイツのラウズィッツ地区や、旧西ドイツのルール工業地帯などでは、約5万6,000人が褐炭の採掘や火力発電に従事している。諮問委員会は、脱褐炭・石炭の影響を受ける採掘地域の産業構造を改革したり、省庁を誘致したりすることによって、失業者の増加を防ぐべきだとしている。また、鉄道や高速道路などの交通インフラの整備も勧告している。
委員会は連邦政府に対し、今後20年間に地域振興のために400億ユーロ(5兆2,000億円・1ユーロ=130円換算)を投じるよう提言している。その内訳は、毎年13億ユーロを採掘地域の自治体に、7億ユーロを州政府に支払う。つまり毎年20億ユーロ(2,600億円)の金が産業構造の改革と雇用対策のために流れ込むのだ。
日本の報道機関では「脱石炭のコストは400億ユーロ」と報じられたが、ドイツのエネルギー業界では、この金額は氷山の一角という意見が有力だ。諮問委員会の最終報告書に金額が明記されていない様々な費用があるからだ。
たとえば政府は、脱石炭によって転職や早期退職を迫られる労働者のために50億ユーロ(6,500億円)を投じて補償措置や、公的年金の目減り分の補填措置を取る。
また、電力会社は褐炭・石炭火力発電所の早期停止により経済損害を受けるので、政府はそれにも補償金を支払う。また発電コストが安い褐炭火力発電所を廃止すると、家庭や企業にとって電力料金が高くなる可能性がある。このため政府は電力料金の高騰を防ぐための助成措置も行う。
これらを合算すると、脱石炭のコストの総額は、700億~800億ユーロ(9兆1,000億円~10兆4,000億円)前後に達するとエネルギー業界では推定されている。褐炭採掘地域に潤沢な資金が流れ込む一方で、納税者は多額の負担を強いられるのだ。
財政支援の背景に新興政党の影
褐炭採掘地域への潤沢な財政支援の背景には、今年秋に旧東ドイツのザクセン州、ブランデンブルク州、チューリンゲン州で行われる州議会選挙がある。
褐炭の採掘が行われているこれらの州では、新興右翼政党「ドイツのための選択肢(AfD)」への支持率が、西側よりも高い。
脱石炭を短期間に実施し、褐炭採掘地域への十分な補償を行わない場合、市民の不満が爆発してAfDの支持者をさらに増やす可能性がある。
政府はこれらの地方選挙でAfDの得票率が高まらないように、脱石炭に19年の歳月をかけ、大規模な財政出動によって市民の不満を和らげようとしているのだ。
電力の安定供給確保が鍵
ドイツの産業界には、「ベースロード電源である原子力と褐炭・石炭の使用をやめて、変動が激しい風力や太陽光を主要電源にした場合、電力の安定供給が確保できるのだろうか。電力料金の高騰によって、国際競争力が低下しないだろうか」という一抹の不安感も残っている。
ドイツは欧州で最も停電時間が短い国である。日本と同じモノづくり大国ドイツにとって、電力の安定供給は極めて重要だ。
だが送電事業者からは「2011年に複数の原発を止めて以降、電力需要が増える冬季に需給が逼迫して、系統が不安定になる局面があった」という意見が出ている。今後メルケル政府は、産業界の不安感を払拭するためにも、電力の安定供給を確保しながら再生可能エネルギーを拡大しなくてはならない。
次回からは、ドイツの再生可能エネルギーの拡大に焦点を合わせて報告を続けたい。(続く)