オルタナティブな社会に向けて、再生可能エネルギーをリードしてきた市民による発電事業。あらためて、その歴史を振り返り、次の展開を見据えていく。「足元から地球温暖化を考える市民ネットえどがわ(足温ネット)」事務局長の山﨑求博氏によるコラムをお届けする。
<前回のあらすじ>
1999年7月に太陽光発電による市民発電所を建設した足温ネット(東京都江戸川区)。発電出力5.4kWの発電所建設にかかる費用は590万円!あれこれ算段してお金を集めたものの、市民から募った寄付「太陽かわら寄進」が思うように集まらず、118万円足りなくなってしまいました。そして、発電所建設のきっかけとなった川浦渓谷の揚水発電ダム計画はどうなったのでしょうか?
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金貸しをする市民団体という選択
さて、お金が足りません。118万円などというお金が設立3年目の団体に転がっているはずもなく、借り入れという選択肢しか残っていませんでした。
まず、救いの手を差し伸べてくれたのは東京都庁でした。当時東京都では、環境に負荷をかけない新製品を購入する事業者に対して、低利で資金を貸し付ける制度融資というものがありました。私たちのことを聞きつけた担当者から、制度融資を使ってみませんかとお声をかけていただいたのです。金利は年利1%と低利なものでとても魅力的でした。
もうひとつは、それこそ足元にありました。足温ネットが事務局をかまえる小松川市民ファーム(東京都江戸川区)には、様々な市民団体が同居していて、その中に「未来バンク事業組合」という団体が入っていました。市民から預かったお金を環境事業や社会事業などに融資する、言わば金貸しをする市民団体です。
幸い足温ネットのメンバーと近しい存在でしたので、融資を受ける相談をしたところ、金利は年利3%とのことでした。東京都の制度融資の3倍の金利負担です。
普通に考えれば金利負担の低い方を選びますよね。
しかし、私たちが選択したのは未来バンクでした。何しろ建設から運営まですべて市民でやろうと決めた市民発電所です。お金を借りるのだって、金貸しをする市民団体があれば、そこから借りたいという結論に至りました。120万円お借りして、10年後に130万円にして返済する計画を立て、事業収入から少しずつ返済した結果、2009年に完済できました。
未来バンクウェブサイトより電気本位制の地域通貨?
資金のめどがつき、市民発電所は「市民立・江戸川第一発電所」として発電を開始しました。とは言え借金持ちです。お金は無いけど、返済しなければなりません。何か事業を考えなければ・・・。みんなで額を寄せ合って話し合った結果、「グリーン電力証書」を作ろうということになりました。
FIT制度のない当時、原発や火力発電で作られた電気も再生可能エネルギーで作った電気も、同じ価格で家庭に届いていました。しかし、再生可能エネルギーにはCO2排出量が少ないといった環境価値があります。そうした価値に値段をつけ証書として販売することで再生可能エネルギー発電を応援するわけです。
そこで、市民版グリーン電力証書の制度設計を始めました。再生可能エネルギーの電気を高く買い取るドイツでは太陽光発電の電気の買取価格がkWh当たり約55円(当時)でしたから、日本での余剰電力の買取単価を22円とした場合、差額の33円が環境価値と言えるはずです。そして、証書1枚あたり30kWhとすれば、ちょうど1,000円で販売できると考えました。
証書の名前は、江戸川(edogawa)と電気(wat)をかけた「Edoga-wat(エドガワット)」です。
発行したグリーン電力証書しかし、これでは1口1,000円の寄付を募るのと変わりません。何かプレミアムを付けようということで、当時盛り上がっていた地域通貨を証書に付けることにしました。
グリーン電力証書「Edoga-wat」30kWhを購入すると、購入者のコミュニティだけで通用する地域通貨「えどがわっと」を3枚(10kWh×3=1,000円相当)渡します。そして、何かをしてくれたお礼に地域通貨で支払います。また、太陽光発電パネルを象ったバッチを作成し、購入者の証としました。
この「Edoga-wat」は大いに売れました。発電所の年間発電量が6,000kWh見込めることから証書の発行数は200枚でしたが、地域通貨への関心が高まっていたこともあり、8割を売り上げました。しめて16万円の収入です。ちなみに、この証書を持ってくれば太陽光発電の電気30kWhを受け取ることもできます。言うなれば、電気が価値を保証したグリーン電力証書であり、地域通貨であるわけです。
中止になった揚水発電ダム計画
最後に、川浦渓谷の揚水発電ダム計画がどうなったかお話しましょう。見出しにもあるとおりダムは建設されることなく、中部電力は2006年2月に計画中止を表明します。中部電力が示した中止の理由は、「最大電力の伸び悩みが顕著」であることでした。私たちが発電所を建設した理由が、夏場に最も発電する太陽光発電によって電力需要ピークを押し下げれば、新たな発電所は必要無いというものでしたから、建設中止理由と一致します。
こうして建設目的を達した(?)私たちの発電所は、20年を超えた今でもお寺の屋根で発電を続けています。
(つづく)