国際社会が脱炭素化に向かい、米国の中東依存が低下することで、石油・天然ガスを供給してきた中東地域における地政学は大きく変化せざるをえない。米国の仲介によるイスラエルと中東の国家との国交正常化は、そのひとつのあらわれだ。こうした変化は日本に何をもたらすのか。清和大学講師でオオコシセキュリティコンサルタンツ アドバイザーの和田大樹氏が、新たな地政学を解説する。
米国仲介でイスラエルと接近する中東
2020年9月15日、ホワイトハウスで異様な光景が見られた。トランプ大統領がけん引する形で、イスラエルとUAE、バーレーンの国交正常化を記念する署名式が開催されたのだ。
署名式にはイスラエルのネタニヤフ首相、UAEのアブドラ外相、バーレーンのザヤニ外相が出席した。これによって今後イスラエルとの間で外交、経済の分野で関係が急速に深化することだろう。
The White House from Washington, DC / Public domainこれでイスラエルと国交を持つアラブ諸国は、1979年のエジプトと1994年のヨルダンを加えた計4ヶ国となるが、トランプ大統領やネタニヤフ首相は複数のアラブ諸国がこの流れに続くと示唆している。
では、以上のような動向からどのようなポイントが読み取れるのだろうか。ここでは大きく4つに絞って紹介したい。
ポイント1:パレスチナの孤立
UAEとバーレーンのイスラエルとの国交正常化は、パレスチナの孤立というものを露呈する形となった。アラブ連盟は今年9月9日に外相会談を開催したが、イスラエルとUAEの国交正常化を非難することを避けた。
これまで多くのアラブ諸国は、イスラエルとの国交正常化には入植地の撤廃やパレスチナの国家承認を前提条件としてきたが、アラブの盟主であるサウジアラビアがイスラエル・UAEを結ぶ航空便の上空通過を許可するなど、アラブ諸国の対イスラエル姿勢は実利主義的なものに変化している。
しかし、パレスチナの孤立は今回になって鮮明化したものではない。近年繰り返されている、イスラエルによるガザ地区への空爆に関しても、サウジアラビアなどアラブ諸国によるイスラエル非難は限定的なものだ。欧州諸国の方がパレスチナ寄りといっても過言ではない。
ポイント2:実利主義>理念主義で動く中東
今回の国交正常化では、アラブの大義が失われたとする見方がある。そういう議論が多くなる背景には、原油価格安で経済の多角化を推し進めたいアラブ諸国の思惑がある。
中東のイスラム過激派などは、イスラムの大義や威厳など、「理念的なもの」を重視するが、各国政府や市民たちの目標や要求はかなり「実利主義的なもの」といえる。
昨年(2019年)も、ガソリン価格の値上げに端を発したイランでの反政府デモは各地に拡大し、レバノンでは無料通話アプリへの課税を巡って市民の怒りが爆発した。
つまりアラブ各国政府は原油安で経済難が深刻になり、国民からの不満がいっそう高まることを警戒している。サウジアラビアやUAE、バーレーンなどはイラク、レバノンなどの二の舞いになりたくないという本音があることだろう。
そういう事情があることから、最新技術で経済成長を続けるイスラエルとの関係を強化したい狙いがアラブ各国政府にはある。
2019年、ベイルートでの反政府デモ Shahen books / CC BY-SAポイント3:イスラエルとトランプ大統領の思惑
アメリカのオバマ前政権とトランプ政権は考え方が対立軸にあるが、実は米国の非介入主義という部分では同じであり、トランプ政権もその方向で進めている。
イスラエルの安全保障にとって、米軍の中東からのプレゼンス低下は大きな問題であり、長年イランと対立する中、ネタニヤフ首相には今回の国交正常化でアラブ諸国との関係を強化し、イランを孤立させたい狙いがある。
UAEとバーレーンとの国交正常化は、現在は経済的領域が表立っているが、中長期的には安全保障にまで踏み込んだ話になる可能性もある(トランプ大統領が再選し、4年続くという場合)。
一方、トランプ大統領の狙いも同じようなもので、イスラエルとアラブ諸国をできるだけ接近させ、イラン包囲網を強化したいと考えている。同時に11月の大統領選で支持基盤であるキリスト福音派からの支持を確実なものにし、選挙戦を勝ち抜きたい狙いもある。
しかし、選挙戦で民主党バイデン候補が勝利した場合、情勢は大きく変化する可能性が高い。
バイデン候補はオバマ前政権の継承を宣言しており、オバマ政権時に合意に至った2015年イラン核合意に戻る姿勢を明確にしている。要は、イスラエルとトランプ政権によるイラン包囲網戦略が根本的に変わることになるため、イスラエルやサウジアラビアの対米不満が再び高まる可能性もある。
ジョー・バイデン候補 2020年 Gage Skidmore from Peoria, AZ, United States of America / CC BY-SAポイント4:中国の中東への関与
最後は中国の動向だ。近年、中国は一帯一路構想に基づき中東への関与を着実に進めている。
イラクのアブドルマハディ前首相は昨年9月、北京を訪問して習国家主席と会談し、中国の「一帯一路」構想に参加する意向を表明した。
サウジアラビアは2012年に中国との間で原子力協定に署名し、現在中国の協力のもと核開発プログラムを強化しているともいわれる。
近年、中国とイスラエルも経済関係を強化しているが、アラブ諸国がイスラエルに接近する状況は、経済的接近を試みる中国にとっても都合がいい。
米中対立の行方にも左右されるが、中国としては実利主義で動く中東各国の構図は、アフリカやアジア、中南米などで取る外交姿勢を中東にも転用できる可能性があると判断しているかも知れない。
だが、米中対立が深まるなか、米国の中東からのプレゼンス低下は中国の影響力拡大に繋がる可能性があり、米国としても難しい舵取りであることは間違いない。
最後に(日本へのインプリケーション)
以上のように4つのポイントを紹介したが、いずれにしても11月の米大統領選が今後の中東情勢の行方を左右することだろう。
トランプ大統領になれば現在の状況が続くが、バイデン大統領になっても、実利主義はイスラエルと石油安に悩むアラブ諸国を繋ぎ止める可能性が高い。トランプ政権では「米国、イスラエル、サウジアラビアVSイラン」の対立構図が続くが、バイデン政権でも「イスラエル、サウジアラビアVSイラン」の対立構図は続く。要は、いずれにしても中東を巡る国家間緊張は続くことになる。
日本は石油の大半を中東に依存しており、引き続き念入りに中東情勢を注視していく必要がある。