激動する欧州エネルギー市場・最前線からの報告 第12回
いまドイツの電力業界や風力発電プロペラのメーカーは、メルケル政権が今年(2019年)9月に発表した「2030年気候保護プログラム」のある部分を強く批判している。その理由は、この政策パッケージが再生可能エネルギー拡大政策と矛盾する部分を含んでいるからだ。
「民家との間の距離は最低1km」
問題の部分は、この気候保護プログラムが「風力発電装置を陸上に新しく建設する場合には、住宅地との間に最低1キロメートルの距離を取らなくてはならない。1キロメートル以内の場所への風力プロペラの建設は禁止する」という規定を盛り込んでいることだ*1。しかも地方自治体は、この距離を1キロメートルよりも短くすることも要求できる。
ドイツ連邦政府は、「陸上風力発電への住民の理解を得るには、この規定の導入は不可欠だ」と主張している。また政府は、「地方自治体の風力発電装置の運営に参加することも、市民の理解を得る上で重要だ」としている。
風力発電業界の批判
だがこの最低距離規定については、電力業界特に風力発電業界から強い反発の声が上がった。もしもこの距離規定が全国に一律に施行された場合、風力プロペラを建てるための用地は大幅に少なくなるからだ。
ドイツ風力エネルギー連合会(BWE)のヘルマン・アルバース会長は「この距離規定が全国で適用された場合、ドイツは、2030年の再エネ消費比率を65%に引き上げるという目標を達成できないだろう」と批判した。同時に「この規定は各地での発電装置建設の許認可プロセスを混乱させ、風力業界全体を危険にさらすだろう」と警告した。
さらに同氏は「政府は今回の法案を大改革として鳴り物入りで発表したが、内容は期待に反するものだった。産業界は再生可能エネルギー拡大のための準備ができているのに、2030気候保護プランには、陸上風力の入札量の拡大が盛り込まれていない」と強い失望感を表わした。
ドイツ南部のバイエルン州には、すでに2014年から「10H規定」という再エネ業界では悪名高い決まりがある。同州の政府は、「バイエルン州に風力プロペラを新設する場合には、民家との間に少なくとも風力プロペラの高さの10倍の距離を取らなくてはならない」という規定を導入したのだ。メルケル政権は気候保護プログラムの中で「バイエルン州は10H規定を引き続き適用できる」とコメントしている。
この規定のために、バイエルン州では風力発電プロペラの設置が進んでいない。私が住んでいる同州ミュンヘンでは、中心部と空港を結ぶ高速道路に沿って、風力プロペラが1基あるだけだ。
バイエルン州はアルプス山脈や湖水地帯を持つ、風光明媚な観光地としても知られる。したがって住民や観光業界は、バイエルン州にドイツ北部のように多数の風力発電プロペラが林立することについて反対したのだ。
建設中の風力発電所(BWEウェブサイトより)
風力プロペラに対する反対運動
一方、ドイツでは北部を中心に陸上風力発電装置の建設に対する住民の反対運動が強まっている。
反対の理由は、家の近くに風力発電プロペラが建設されると、景観が損なわれて不動産価格が下がると考える人が多いからだ。すでにプロペラが立っている地域では、巨大なローターの回転音が気になるという市民や、「晴れた日には、ローターが回転する際に太陽光をさえぎるので、まるで家の中で1日中ストロボが点滅しているように見える」と苦情を訴える住民もいる。
さらに野鳥がローターにぶつかって死ぬのを防ぐために、自然保護団体が風力発電装置の設置差し止めを求める例も増えている。自然保護団体は政府の再生可能エネルギー拡大政策・CO2削減路線には原則として賛成しているが、野鳥の生息圏が風力プロペラの建設によって脅かされることについては、断固反対している。
ドイツの風力発電所に飛び交う鳥
自然保護団体や住民が建設差し止めを求めて提訴
BWEによると、2019年の第2・四半期の時点で、ドイツ全国の325基の風力発電装置に建設差し止めを求める訴訟が起きている。裁判のために、1,011MWの設備容量に相当する発電装置の建設が阻まれているのだ*2。最も提訴件数が多かったのは2017年と2018年で、この2年間だけで226基の風力プロペラについて訴訟が提起された*3。
このため昨年から、陸上風力発電装置の新設にブレーキがかかっている。
同じくBWEのデータによると、2018年の風力発電装置の新規設備容量は前年比で約55%も減って240万2千kWになった。2018年に設置された風力発電装置の数は、743基。これは前年(1,792基)の半分にも満たない。2000年にドイツ政府が再生可能エネルギーの拡大政策を始めて以来、最も少ない数字だ*3。
資料=BWE
資料=BWE
BWEによると、今年1~9月に運転を開始した陸上風力発電装置の数は、わずか148基(設備容量=507MW)にすぎない。
建設が遅れているもう一つの理由は、訴訟増加のために、地方自治体が風力発電装置の設置許可申請を審査するのにかかる時間が、以前よりも長くなっているのだ。
風力発電装置メーカーの間では、「このままでは業界全体が存亡の危機にさらされる」という厳しい見方も出ている。今年11月8日にはドイツの風力発電装置メーカー、エネルコン(Enercon)が業績悪化のため従業員数を3,000人削減することを明らかにした。同社のハンス - ディーター・ケットヴィヒ社長は、「過去数年に我が社はドイツで約700基の風力発電装置を売ってきたが、今年11月までに売れた数は65基にすぎない。ドイツ政府がエネルギー転換の政策を変更したために、こうした事態になった」と語っている。
エネルギー転換に総論賛成・各論反対
BWEは「再エネ比率や二酸化炭素削減の目標を達成するためには、政府が許認可にかかる時間を短縮し、陸上風力発電装置の建設を加速しなくてはならない」と訴えている。陸上風力はドイツの自然エネルギーの根幹であり、新規建設の遅れはエネルギー転換全体にブレーキをかける危険がある。
「卒FIT」も要因の一つだ。ドイツは2000年に、政府が決めた固定価格で再生可能エネルギーによる電力を買い取ることを送電事業者に強制するFIT(Feed in Tarif) 制度を始めた。政府は、再生可能エネルギーを急激に拡大するために、当初買い取り価格を20年間にわたり高い水準で固定していた。だが来年(2020年)からは多くの発電装置で、20年間にわたる電力の買い取りが終わる。投資家の中には、卒FITによって発電事業の収益性が下がるのではないかと考えて、新たな風力発電装置への投資について二の足を踏む者もいるのだ。
欧米にはNIMBY(Not in my backyard)という言葉がある。「私の家の裏には建設しないでくれ」という意味だ。ドイツ人の大半は脱原子力、脱石炭、再生可能エネルギーの拡大に賛成している。だが風力発電装置や、再エネ電力を北部から南部へ送るための高圧送電線が自分の家の裏に建設されるとなると、拒否する。つまり総論賛成、各論反対だ。ドイツの電力業界と政府の頭を悩ませているのは、正にこのNIMBY現象なのである。
政府は、住民や自然保護団体の反対運動を鎮静化させ、エネルギー転換のスローダウンを防ぐことができるだろうか。私は、住民の理解を得るのはかなり困難な作業になると予想している。