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歴史上初の脱原子力合意でエネルギー転換をはじめたシュレーダー連立政権

歴史上初の脱原子力合意でエネルギー転換をはじめたシュレーダー連立政権

2019年06月11日

電力自由化の先進国であるドイツのこれまでとこれからを紹介するこのシリーズ。
第2回の今回は、2000年代のドイツの政権の動きを追い、シュレイダー政権と緑の党がどのように再生可能エネルギーの拡大を後押ししたかをご紹介します。リポートは、元NHKワシントン特派員のフリージャーナリストで、在ドイツ歴30年近くになる熊谷徹氏です。

環境政党が初の政権入り

前回は、今ドイツが行っているエネルギー転換を理解する上で、1996年のEU電力市場自由化指令と、1998年のドイツ電力市場・ガス市場完全自由化が重要な里程標であることをお伝えした。

電力市場自由化と並んで重要なのが、ドイツ政府の動きだ。特に、2000年にドイツ政府が脱原子力への第一歩を記したことと、再生可能エネルギーの拡大政策に着手したことは特に記したい。

エネルギー転換を始めたのは、現在のアンゲラ・メルケル首相ではなく、前任者のゲアハルト・シュレーダー首相(社会民主党=SPD、第7代連邦首相 在任期間1998〜2005年)だった。

この際に見逃せないのは、脱原発を求める環境保護政党・同盟90/緑の党(以下緑の党)が、ドイツの歴史の中で初めて政権入りしたことだ。

同盟90/緑の党のロゴ

1998年にSPDと緑の党は連立を組み、連邦議会選挙で勝利。左派連立政権を樹立した。緑の党は、1980年に結党された環境政党で、当初から原子力発電所の全廃を求めていた。

シュレーダー内閣で連立与党となった緑の党は副首相、外相、保健省とともに、環境省を任された。環境大臣には、ユルゲン・トリティンという、原子力エネルギーに批判的な左派の政治家が就任した。この省は原発の安全対策を担当するため、経済省と並んでエネルギー政策では重要な役割を果たす。

トリティンは、緑の党創設以来の政策目標である脱原子力と、原子力を代替するための再生可能エネルギーの拡大に乗り出した。

原子炉の稼働年数を制限。では、何年に停止する?

シュレーダー政権は2000年6月に、大手電力会社4社との間で歴史的な「脱原子力合意」に達する。さらに政府は、2002年4月に施行した原子力法の改正案によって、一基の原子炉の運転期間を、32年間に限った。

当時運転中だった19基の原子炉は、2000年1月1日からの発電量を、合計2,623TWh(テラワット時)に限られた。そして個々の原子炉には、「将来発電を許される残りの電力量」が割り当てられた。たとえばバイエルン州のイザー(Isar)2号機は、231TWhを発電し終わったら停止されることになった。また原発や再処理施設を新しく建てることは、禁止された。

ドイツ・イザー原子炉(Wikipediaより)

実は、筋金入りの反原発派の間では、この「脱原子力法」の評判は悪かった。その理由は、脱原子力法が最後の原子炉を止める日付を確定しなかったことである。

原子炉は定期点検などのために止められて発電しない期間があるが、この期間は32年間から差し引かれる。つまり点検などのための停止期間によって、原発全廃の日付が徐々に後ろにずれていくという弊害があった。

このためシュレーダー政権は、原発停止の日付を確定できず、「最後の原発が止まるのは、2022年か2023年頃」としか説明できなかった。

これに対し、2011年の福島事故をきっかけとして、メルケル首相(2005年に首相就任)は全ての原発を2022年末までに停止するという法案を連邦議会で可決させた。

つまり原発全廃の日付の有無が、シュレーダー政権の脱原子力合意とメルケル政権の脱原子力決定の最大の違いである。

シュレーダー政権との間で大手電力会社が脱原子力合意を受け入れたのは、32年という稼動期間ならば全ての原子炉の減価償却が可能で、十分採算が合うと考えたからだ。しかもシュレーダー政権は、脱原子力法の中に「稼動期間中は原子炉が妨害を受けずに運転できることを保証する」という言葉まで加えている。

1970年代以来、デモや訴訟など様々な形で原発の運転を妨害されてきた大手電力にとって、スムーズな稼動が政府によって保証されることは、プラスであった。このため先鋭的な反原発派の間では、「シュレーダー政権の脱原子力合意は不十分」という批判の声が強かった。

FITによる再生可能エネルギー拡大に踏み切る

合意形成された2000年当時、原子力の発電比率は29.5%。シュレーダー政権は原子力エネルギーを太陽光発電や、風力発電などの再生可能エネルギーによって代替することを決めた。

同政権は2000年4月に「再生可能エネルギー促進法(Erneuerbare-Energien-Gesetz:EEG)」を施行させる。この法律は、再生可能エネルギーを使って発電を行う事業者に対し、国が決めた電力の買取価格を20年間にわたり固定にする、いわゆる「固定価格買取制度(Feed-in Tariff: FIT)を導入するものだ。
2000年に施行されたEEG2000によると、2001年に運転を始める太陽光発電施設からの電力については、1kWhあたり最低50.6セント(65.78円・1€=130円換算)という極めて高い買取価格が設定された。(買取価格はその後徐々に引き下げられ、今年(2019年)1月の時点では出力10kWh以下の太陽光発電装置の電力の買取価格は11.47セントとなっている)

しかも日本とは異なり、送電事業者は需要の有無に関わらず、再生可能エネルギーによる電力を買い取る義務が課された。

送電事業者は、政府が決めた割高の価格で買った再生可能エネルギーによる電力を卸売市場で販売する。しかし市場価格は、2000年当時に政府が決めた買取価格よりも大幅に低かった。これでは送電事業者が大損をしてしまう。

このため政府は、送電事業者が市場価格と政府の固定価格の差額を「再生可能エネルギー助成金」という形で受け取る仕組みを作った。この助成金は、電力を消費する市民や企業が、再生可能エネルギー賦課金として負担している。

賦課金は増大するが、エネルギー転換への国民的合意が存在している

この賦課金は年々増加し、国民の電力コストを増やす原因の一つとなっているが、だからといって再生可能エネルギーの拡大をやめようという動きにはつながっていない。この国には、「原子力と褐炭・石炭の使用をやめて、再生可能エネルギー中心の経済に移行しよう」という国民的な合意が存在するのだ。

2000年以降の再生可能エネルギーは急拡大

ドイツの主要電源の発電量の推移
資料=独エネルギー収支作業部会(AGEB)

再生可能エネルギー発電事業者にとって極めて有利なこの法律は、太陽光発電装置や風力発電装置の建設ブームを引き起こし、再生可能エネルギーの発電量を飛躍的に増やした。

独エネルギー収支作業部会(AGEB)によると、2000年の再生可能エネルギー発電量は379億kWhだったが、2018年には2,264億kWhとなった。再生可能エネルギーの発電量が18年間で約6倍に増えたことになる。

2000年の発電量に再生可能エネルギーが占める比率は6.6%にすぎなかったが、2018年には35%に増えた。
逆に原子力の発電比率は、2000年の29.5%から2018年には11.8%に激減し、再生可能エネルギーに大きく水を開けられた。
現在ドイツで最も発電比率が大きいのは褐炭と石炭(35.4%)だが、近い将来再生可能エネルギーが褐炭と石炭を追い越すことは、確実である。

次回は、2011年に日本で起きた原子炉事故が引き金となった、メルケル政権の脱原子力決定と再生可能エネルギー拡大政策についてお伝えしよう。(続く)


熊谷徹
熊谷徹

1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。1990年からはフリージャーナリストとし てドイツ・ミュンヘン市に在住。過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材、執筆を続けている。著書に「ドイツの憂鬱」、「新生ドイツの挑戦」(丸善ライブラリー)、「イスラエルがすごい」、「あっぱれ技術大国ドイツ」、「ドイツ病に学べ」、「住まなきゃわからないドイツ」、「顔のない男・東ドイツ最強スパイの栄光と挫折」(新潮社)、「なぜメルケルは『転向』したのか・ドイツ原子力40年戦争の真実」、「ドイツ中興の祖・ゲアハルト・シュレーダー」(日経BP)、「偽りの帝国・VW排ガス不正事件の闇」(文藝春秋)、「日本の製造業はIoT先進国ドイツに学べ」(洋泉社)「脱原発を決めたドイツの挑戦」(角川SSC新書)「5時に帰るドイツ人、5時から頑張る日本人」(SB新書)など多数。「ドイツは過去とどう向き合ってきたか」(高文研)で2007年度平和・協同ジャーナリ ズム奨励賞受賞。 ホームページ: http://www.tkumagai.de メールアドレス:Box_2@tkumagai.de Twitter:https://twitter.com/ToruKumagai
 Facebook:https://www.facebook.com/toru.kumagai.92/ ミクシーでも実名で記事を公開中。

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