食と文化と再生可能エネルギー(第1回)
泡のない温いビールはお好きですか?
みなさま、初めての方ははじめまして。SNSやリアルでいつもお会いしている方はまいどおおきに。安田陽(やすだ・よう)と申します。この度、EnergyShift様のご好意により、不定期連載のコーナーを持たせて頂くことになりました。編集部の方からは「なんでも好きなことを書いてよい」と仰って頂きましたのでホンマになんでも好きなことを書いちゃいますよ(笑)。
もちろん、EnergyShift様の媒体で書かせて頂く限りは、アリバイ的に(!)再生可能エネルギーや気候変動・SDGsに最後は無理やりつなげたいと思います。
「なんでも好きなことを書いてよい」ということですので、早速第1回目から、私がこよなく愛するお酒の話をしたいと思います。まずはビール。とりビー。
みなさん、ビールの泡は好きですか? なんか最近、泡を強調するコマーシャル多くないですか? ちなみに私は泡がたくさんあるビールは、…飲みたくありません。私がここ20年以上通っている東京のクラフトビール専門のビアパブがあるのですが(簡単には教えませんよ…、フッフッフ)、そこには「東京オリンピックまでにビールの泡は1cmに!」というスローガンが控えめにこっそり貼ってあります。それを見て常連の私はいつも「いやいや、1cmでもありすぎ。1mmでいいです」とマスターに言ってます。そして実際、私には泡を1mmくらいにして注いでくれます。ビールの泡って、単なる厚化粧ですよ?マズいビールの味をゴマかす以上のメリットは感じられません(個人の意見です)。なんでみんなそんなに泡を有り難がるのか、不思議〜(個人の意見です)。
ビールの泡って、「工業的に」「人工的に」「後付けで」注入してるってご存知でしたでしょうか…? もちろんビールを醸造させる過程で酵母が出す二酸化炭素により泡も発生しますが、グラスに注いでもアレほど泡は盛り上がりません。もし自然発酵の過程でそれほど泡が出るとしたら過発酵の可能性があります。テレビコマーシャルなどでよくでてくるアノたっぷりした泡は、実は「完成された」ビールにわざわざボンベを用いて炭酸ガスで加圧して勢いよく注入することで発生します。最近のビアサーバでは液体用と泡用とわざわざ2ラインの注ぎ口があるタイプのものもあります。とても工業的かつ人工的。たんなる後付け。蛇足。
ちなみに日本ではお店でサーバから注がれるものを「生ビール」と呼んでますが、これを英語に翻訳すると何でしょうか? flesh beer? living beer? うーん…。英語圏ではビアサーバから注がれたビールを「ドラフトビール drought/draft beer」と言いますが、ではそれをもう一度日本語に翻訳し直すとどうでしょうか?
実は、英語のdrought/draftに「生」という意味合いはありません。カタカナで「ドラフト」と書いた場合、みなさんは何を連想するでしょうか?
製図のドラフト?文書案のドラフト?野球のドラフト? 英語のdrought/draftの語源は「引くこと・引かれたもの」です(動詞drawの派生語)。そこに「生」とか「フレッシュ」という意味は全然ありません。ドラフトとは、本来とても工業的な動作を表す単語なのです。
日本で日本語で「生ビール」と呼ばれるものは、もしそれがドラフトビールの訳語だとすれば、はっきり言って大誤訳レベルです。ドラフトビールでは酵母はフィルタリングなどで死滅・除去されています。でも誰が言い出したのか、大手ビールメーカーの戦略なのか、日本ではすっかり「生ビール」という謎の言葉が、誰も疑問に思わずに定着してます。なんでや。みんなちっとは常識を疑おうよ。
一方、「酵母が生きてる」ビールという意味では、全く別の「リアルエール real ale」という言葉があります。リアルエールは、イギリスの消費者団体「キャンペーン・フォー・リアルエール (CAMRA)」によると、以下のように定義されます。
日本でも近年ハンドポンプから注がれるリアルエールが飲めるパブも増えているのでファンも多いと思います。ハンドポンプとは、普通の炭酸ガス加圧のビアサーバとは異なり、手でポンプを引くことによりビールを注ぐ装置です。なお、日本で「リアルエール」と呼ばれているものは出荷前に醸造所でフィルタリングして酵母を除去しているものもあるので、本場イギリスの基準からするとリアルエールと呼べない場合もあります(だからといってダメではないですが。私も日本の「リアルエール」は好きですしよく飲みます)。
筆者はこのリアルエールがあらゆる世界中のビールの中でも最も好きで(正確にはイングリッシュタイプのビールが好きなので、必然的にイギリスの伝統的なリアルエールに行き着く)、出張や休暇でイギリスに行くたびに精力的に飲んでます。
初めてイギリスに行って当時リアルエールと知らずにそれを飲んだのが20ウン年前。それ以来、年に1〜2回のペースでイギリスに行く機会があり、飲んだビアクリップ(ハンドポンプの場合はラベルではなくクリップと言います)の写真はほぼ全てコレクションしてるので、手元のスマホの中には1,200種類以上のビアクリップの写真が貯まってます。
できるだけ今まで飲んだことがない銘柄を飲むけど、時々クリップのデザインが変わったりしてうっかり同じものを飲んでしまうことも。基本、ハーフパイント(284ml)で飲むので、パイント(568ml)に直すと600パイント程度かな。まだまだイギリスを飲み尽くすには程遠い!
そして、イギリス出張のたびに飲みまくる本場のリアルエール、これがまた、割とハズレを引くこともあります…。あれれ?本場なのに? …はい、本場なのに、です。いや、本場だからこそ、でしょうか。本場のイギリスのリアルエールは、うーん…イマイチとか、なんじゃこりゃぁぁぁ全然ダメダメ…という経験も少なくありません。
いや、ほんまです。まあ、冷静に考えて下さい。上記のCAMRAの定義の通り、「リアルエールはそれが注がれるまで…発酵をし続ける」のです。酵母が生きてるので、醸造所から出荷された瞬間から、コンディションがずんずん変わっていく。パブのセラー(貯蔵室)に設置し、カスクを開栓してからもずんずんコンディションが変わっていく。こーんなvariableで扱いづらい商品、他にあるでしょうか?
本場イギリスのリアルエールは、残念ながらときどきハズレます。でもそれでも私はイギリスでリアルエールを飲み続けます。なぜって? それは、ときどきハズレも引くけれど、大当たりを引いた時は、もう涙が出てくるほど美味いから。心の底から「嗚呼、生きててよかった…」という言葉が思わず漏れるほど美味いから。天を仰ぎ神に感謝するほど美味いから(なんの神に? まあお酒の神様に…)。
リアルエールは酵母が生きたビールであるが故に、variableです。味が時間とともに変動します。一定ではありません。だから期待とは違う時もあるでしょうし、今日の樽の底に残ったビールがイマイチでも明日樽が変われば同じ銘柄でも俄然フレッシュになるでしょう。少し盛りを過ぎた頃のビールを、これがあと半日早ければこの味はどうだったか…と若かりし頃の姿を想像しながら飲むのも乙なもの。
良いパブには良いセラーマン(cellermanというイギリス独特の英語があります)がいて、ベストなコンディションでカスクを管理してベストなタイミングで開栓してくれるので、そのようなパブに巡り会えばずらっと並んだハンドポンプのどれもこれも素晴らしい当たりばかりという幸運にも恵まれます。
運悪くあまりにバッドなコンディションのビールが出てきたときは、バーマンにこっそり丁寧におだやかに「あの〜…、このビールのコンディションが…」とクレームすると(ちなみに英語の claimは、空港のbaggage claimなどの例でわかる通り必ずしもネガティブな意味だけではありません)、奥からセラーマンらしき人がのっそり出てきてクンクンとそのビールを嗅いで、「あ、ごめんごめん〜、代わりに別のビールを一杯飲んでいいよ」とか軽〜いノリで別の銘柄のビールを振舞ってくれたりします。代わりのビールが一転してベストだったりしたら、思わずサムアップでグッと合図し、セラーマンもウィンクしながらサムアップでグッと応酬。こんなコミュニケーションも楽しめます。
仮に日本でハズレのビールを出そうものなら、ネットの評価でむっちゃ低い点数つけられて「二度と行くか!」とか「金返せ!」のクレームの嵐でしょう。日本の「リアルエール」はフィルタリングしているものが多いというのは、日本の世情に合わせている苦肉の策と言えなくもないのですが、なんだか寂しいですよね…。
金を払う限りは絶対にハズレを引きたくない!という方には、大手メーカーの「工業製品」がおススメです。醸造所ではなく工場でつくられた自然変動に無縁のベースロードのような工業的液体。品質第一、安定生産です。
その代わり自然の恵みの神のような大当たりは永遠に経験できないでしょう。産業革命発祥の地のイギリスで、variableな品質を許容する産業形態(というよりもはや文化)が21世紀にも残されているということは、なかなか興味深いことです。
リアルエールのもう一つの醍醐味は、注がれてからもグラスの中で味がずんずん変わることです。リアルエールには「人工的に添加された」泡はありません。炭酸ガス加圧で乱暴に酵母をかき乱すのではなく、ハンドポンプでやさしく静かに樽の底から液体を引き抜くからです。大抵、泡は全くないか、あってもグラスの縁に沿って環状に儚く形成されるだけです。
ハンドポンプのノズルの先端に「スパークラー」と呼ばれるシャワー状に注出するアタッチメントをつけてわざと泡を発生させる場合もありますが(ちなみにイギリスのパブでスパークラーをつけるかつけないかをうっかり質問すると、常連さんを巻き込んで小一時間大激論が楽しめます)、前述の東京の行きつけのビアパブでは、個人的にこっそりお願いしてスパークラーを外して注いでもらってます。故に泡は1mmもない。それがよい。
注がれたビールの液面に泡という蓋がないため、ビールはどんどん酸化していきます。酸化は劣化に等しいですが、最初に注がれたビールが酵母が生き生きとしすぎて味や香りがまだやんちゃな状態の場合は、数分経つととても大人びてきてまろやかな円熟感も出てきます(故に、最初からお疲れなビールの場合は、最後の方は陳(ひ)ねたエグみが出てしまう)。グラスに注がれてから、ゆっくりちびちび飲(や)りながら、味と香りが万華鏡のように変化していくのを味わうのもリアルエールの楽しみ。
もう一つのパラメータは温度です。よく「イギリスのビールは温い!」という揶揄を聞くことがありますが、実際にイギリスのパブでサーブされるビールはドイツのそれよりは若干高めです。アメリカやオーストラリアもサーブ温度は結構低めですが、むしろ日本のそれはマイナスの度数を謳う珍妙な広告もあるくらい異常に低すぎます。低すぎる温度は味覚を鈍麻させ不味いビールを大量に飲ませる商法としては最適かもしれません。
ビールにはビールのタイプごとに適温があります。確かに真夏の暑い日に軽快にクイっと飲(や)るには低温でサーブされたピルスナーが最適かもしれませんが、春先や秋の涼しい季節にはイングリッシュタイプのビール(特にブラウンエールやマイルドなど)を赤ワインと同じかそれよりもちょっと低めくらいの温度でゆっくり静かに飲みたいものです。「イギリスのビールは温い!」という方は、多分高級レストランで上級ソムリエがロマネコンティを注いでくれた時も「このワインは温い!」という方でしょう。まあ人の好みはそれぞれですが。
ビールが注がれてから温度もまた変わっていきます。室温よりちょっと低めの温度から、室温へゆっくりとしかし確実に変化していきます。一般に人間にとって温度が低すぎると苦味が過敏になり甘味が知覚しづらくなると言われていますが、やや高めの温度で注がれるイギリスのビールはホップが効いていても苦みがキツくなく、麦汁由来の優しい甘みがふわっと漂い、それが時間とともに微妙に変化していきます。
そしてグラスの底に残った最後のラストドロップが美味いかどうかが、ほんまに美味しいビールかどうかの分水嶺。ラストドロップともなると、泡で厚化粧して低温で味覚を鈍麻させるビールでは、素性はバレバレです。良いビールのラストドロップは甘露。それは、良く焙煎され良く淹れたコーヒーにも似たようなことが言えます。「英国において美味いエールを飲むということは、時間と対話することなのだよ」…という箴言は、かのシャーロック・ホームズがワトソン君に語ったもの…かどうかは定かではありませんが、少なくとも今、私が思いつきました。
リアルエールはvariableです。テキトーに扱うとハズレも多くなってしまうため、誰でも手軽に扱えるものではありませんが(それ故、本場イギリスでもリアルエールを扱わないパブも多い)、きちんとしたセラーマンがいてきちんと管理しているパブでは、ハズレる確率(リスク)は少なく大当たりの確率は高まります。
ハズレの確率は完全にゼロにはできませんし、無理にゼロリスクにしようとすると余計なコストが無駄にかかり別の何かを犠牲にしなければなりません。そこはリスクマネジメントの発想。そしてvariableな商品を流通させるためには、それを許容する度量の深い円熟した消費者の「文化」が必要です。
前述のCAMRAという団体はリアルエールを促進する世界最大の消費者団体であり、単なるビール愛好家団体ではありません。筆者もCAMRAメンバーとして加入していますが、その機関紙はスノッブな蘊蓄垂れのビール談義…ではなく、やれ女王陛下がここ数年の国会の演説で「パブ」という単語を何回使ったかとか、やれ国会議員がどこそこの歴史的パブに来て保存運動に貢献したとか、やれ飲酒運転事故率と血中アルコール度数許容値との相関とか、割と政治的な(そしてあまり重くなく軽いノリの)話が多いです。
パブに政治談義はつきもの。もともとこの団体が発足したのも戦後のビール業界の近代化により伝統的リアルエールが壊滅状態に追い込まれた際に起こった保存運動に端を発するものです。variableで扱いが難しい商品の生産と流通と消費を如何に支援し、育て、見守り、楽しむか…。それが消費者運動としてのリアルエールの文化でもあります。
…さて、ここまで来れば読者のみなさまのご期待通り、再エネの出番です。再エネの中でも風力や太陽光はとりわけ変動性再生可能エネルギー VRE (Variable Renewable Energy) と呼ばれます。強迫観念的にベースロード的安定供給を信奉している方々はvariableであれば直ちにアウト!とケチをつけるかもしれませんが、variableが悪で低品質だと決めつける世界はとても窮屈で世知辛く、工業的で人間味を失っているかもしれません。
我々人類は地球上に住み、地球環境を間借りしている生物に過ぎません。そもそもvariableな自然の恵みを人類の力で一定に制御しようとする試み自体が傲慢なことかもしれません。そしてある程度一定に制御したかのによう見せかけることは可能でしょうが、どこかに無理が生じることになります。その手痛いしっぺ返しが気候変動問題、というところでしょうか。
variableな商品を現代の技術を駆使してどのように賢く生産し流通させ消費者に提供するか…。何かを失うことで品質第一安定供給を維持するベースロードの従来勢力から、如何に消費者目線で自然との共生を取り戻すか…。ほら、リアルエールと再エネってとても似てませんか? …と、なんとか無理やりオチをつけて無事着地点に到達しました。ふぅ、やれやれ。
こんな感じで、不定期で(月イチのペースを目指したいがたぶん気まぐれで)ゆるゆると連載を続けていきたいと思います。次回は(たぶん)ウィスキー(とこれまたたぶん再エネ)の話。
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