キャップアンドトレード排出権取引制度(ETS) その技術とチャレンジ | EnergyShift

脱炭素を面白く

EnergyShift(エナジーシフト)
EnergyShift(エナジーシフト)

キャップアンドトレード排出権取引制度(ETS) その技術とチャレンジ

キャップアンドトレード排出権取引制度(ETS) その技術とチャレンジ

2020年09月16日
気候変動問題を戦略的に考えよう(9)

温室効果ガスのキャップ&トレード型の排出権取引制度は、キャップレベルを適切に設定することによって、経済効率性を持った技術開発が促進される期待がある。それはどのようなメカニズムによるのか。前2回に引き続き、松尾直樹氏(公益財団法人地球環境戦略研究機関 上席研究員/シニアフェロー)が排出権取引制度について解説する。

キャップアンドトレード排出権取引制度(ETS)のポイントのおさらい

前回は、キャップアンドトレード型排出権取引制度(Emissions Trading Scheme:ETS) が、(a) GHG排出削減効果、(b) 経済効率性、(c) 公平性という3つの独立した「配慮事項の自由度」で整理できるというお話をしました。この3つは、ETSだけでなくどのような政策措置をデザインする場合にも、十分に検討すべきポイントになります。

ETSの場合には、この3つの配慮事項を、制度デザインにおいて分離独立したものとして扱うことができるという点が特徴となっています。

これらが混ざってしまわないということで、ETSの制度は、非常に分かりやすく議論しやすいものになっています。

一方で、現実世界は経済学がそのままストレートに適用できるほど理念的な状態にはないため、ETSのメリットは小さくならざるを得ないわけですが、それはETSの「外の」政策措置を工夫することで、補うことができます(補うように政策措置の設計を行うべき、ということです)。

ETSは技術に関して、プラスマイナスどちらの効果もある

気候変動問題に対処するためには、「技術」を有効に活かすことが非常に大切な視点になります。よく考えると、「有効に活かす」とは、「(経済)効率性を高める」ということを意味していて、ETSの目指すところと同じような気もします。

ただETSは、自分で削減せずに他者の削減分を購入することが特徴ですので、わざわざ高価な技術を導入する必要がないという側面もあります。でも、これからETSのキャップが厳しくなっていくなら、技術への投資を進めていくインセンティブになりそうです。

というように、ETSは技術に関して、プラスマイナスの両面の効果があるような気がします。これは、どのように理解すればよいでしょうか?

よく考えてみると、技術を考える際には、大別して2つの視点がありそうです。ひとつが、「技術の普及」、もうひとつが「技術開発(革新を含む)」です。ともに、頭文字として「コスト効果的にGHG削減ができる」という文言が付きますね。

この整理に基づくと、

  • ETSの「取引ができる」という側面は、前者のコスト効果的な技術の普及
  • ETSの「キャップが厳しくなっていくというアナウンス効果」が、後者の技術革新や開発

にそれぞれ結びつくと考えられるでしょう。

前者において、自社で削減せずに排出権を買ってくるということは、販売先でよりコスト効果的な技術が用いられたことを意味しますので、この節の最初の2つの文章は、とくに矛盾しているわけではありません。市場が近視眼的であることが関係してきます。

後者は、とくにETS固有の特徴ではなく、他の政策措置や、経済全体のNDC目標強化のアナウンスでも、それなりの効果が見込めそうです。中長期の視点に基づくもので、排出権市場の「特徴」を活かすものではないと言えるでしょう。

この効果は以下の場合に、より効果を発揮すると思われます。

  • (a) 公的なアナウンスがあること
  • (b) (自社の)企業活動への直接的影響(因果関係)が目に見えること

(b)自社の企業活動への影響とは、より厳しい目標への対応という面だけでなく、他者にそのような活動が求められることにともなうビジネスチャンスが大きくなるという側面があることも、留意しておくべきでしょう。

一般には、エネルギー多消費の素材系産業は、自社での省エネ技術開発がメインでしょうが、そうでない製造業の場合には、外の企業の技術を導入するケースが多そうです。

重要なことは、とくに革新的な技術の開発のためには、「将来厳しくなっていく目標」だけでは不十分で、それに特化した政策措置も必要ということです。ETSは短期的な低コスト対策の追求が特徴ですので、それ以外の長期的視点は、別の政策措置で補完する必要があります(が、だからといってETSを採択すべきでないという議論は成り立ちません。適材適所ということですね)。

革新的技術は、以下のようなステップを経ることが多いでしょう。

(1)アイデア段階 → (2)原理の動作確認 → (3)実験機で確認 → (4)プロトタイプで実証 → (5)商品化 → (6)普及

それぞれの段階に、適した方策があります。たとえば、不連続と称されるような革新性の強い技術に関して(1)のアイデア段階では、非常に優秀な(深く当該技術を理解した)「個人」の能力が力を発揮します(もっとも重要だと思いますが、しばしば重要性を軽視されています)。

それが後ろに行くにしたがって、支える組織とファイナンスの重要性が大きくなります。現在の公的サポートもそれなりに機能していると思いますが、予算やサポート側の採択時の「見立て」の能力を含め、まだまだ改良の余地が大きいと思います。

技術革新の方法論は、興味深いところではありますが、本テーマから外れてきますので、このくらいにしておきましょう。機会がありましたら、テーマとしてとりあげましょう。

このステップの中で、ETSの役割は、(6)の普及への寄与が最大のものでしょう。技術は普及して始めてGHG削減に寄与するわけですので、その意味は大きいと思います。

その他にも、中長期的投資を誘導する施策や、ターンオーバーの長いものの更新時の政策誘導など、いろいろな施策で補完することが有効でしょう。ETSオンリーではなく、他の措置と組み合わせポートフォリオを組むことで、効果を十二分に発揮できます。ただそのためには、各政策措置の特徴をきちんと把握する必要がありますね。

現実世界のETSの最大のチャレンジ

もうひとつ、ETSの成否という点で、経験上非常に重要とされてきた点を議論いたしましょう。

ETSは、排出総量をキャップの中に押し込めるための環境面の政策措置です。それを容易に行うことができるように、市場取引が導入されているわけですね(逆ではありません)。本来は、この目的が満たされれば、成功した…と考えていいと思います。

ただ、現実世界では、排出権価格に「望ましい価格レンジ」があって、それから外れないようにしなければならない、という「追加的要請」が重視されるようです。

  • (1) 排出権価格が低迷したら(トンあたり10ドル以下)、価格効果によって排出削減が行われているとは言えない
  • (2) 排出権価格が高騰(トンあたり数100ドル以上)したら、経済に与える悪影響が大きい

たしかに、このようにいえそうな気がします。

(2)の点は、実際にそんなに高騰したことはいままでありません。むしろ (1) が顕在化することが多くなっていて、政策サイドが最初は「及び腰」だったことをうかがわせます(わたしは安全サイドから始めることは悪いこととは思いませんが)。

これは、むしろETSによって、想定より低いコストで削減が進んだ…と理解するなら、望ましいことでもありますね。 次期の目標設定として、どのレベルが(経済的負担という点で)適切であろうか? を考慮するために、非常に貴重な情報になります。

これらの排出権価格をあるレンジに抑えるためには、いくつかの制度設計上の工夫がなされることが多いようですが、ここではその詳細は議論いたしません(日単位の大幅な価格変動は、通常の市場のストップ高やストップ安という上下限変動制約措置で対応できます)。

排出権価格に直結する本質的な点は、「キャップのレベル」であるわけですね。実際は、「当期のキャップレベルを、途中で変更(ルールの後出し)することは望ましくない」という制約があります。

一方で、次期のキャップレベルは、アナウンス効果を考慮しつつも、ある程度、政策サイドのフリーハンドが効くといえるでしょう。

観測された排出権価格から、次期キャップレベルをどう設定するか? というルールを、事前に決めておく」という方法も、企業にとっては不確実性が減って、よさそうです。

余談ですが、企業にとってもっとも困るのは、規制そのものというより、将来規制がどうなるかわからない不確実性の高い状態が続くことだと思います。いったん将来が明確になれば、企業はそれに応じて、(気候変動規制遵守以外の各種ビジネスの側面も考えながら)自主的に最適と思われる対策を考え、それを打つことができるようになりますが、不明確の場合には、その(余計な)リスクが対策の障害になります。

排出権価格高騰にどう対応するか

さて、ここですこし、上記の(2)の排出権価格高騰のケースを考えてみましょう。
それじゃ、ETS以外の政策措置なら、より少ないコストで目標達成ができるのか? という疑問が生じますね。経済学的に理念的な状況では、他の施策ではより高いコストが必要となるか、同じコストだとすると目標遵守ができないことになるでしょう。

わたし個人は、排出権取引制度の最大の特徴は、キャップ達成がむつかしそうになった場合には、需給の関係から排出権価格が上昇し、それにともなって排出削減活動が促進され、結果としてキャップの枠内に総排出量が収まるというメカニズムだと思います。

このダイナミックなメカニズムが、きちんと(経済理論通りに)機能するように、補完する措置も含めて、ETSをデザインすることが、非常にチャレンジングなパリ協定のゴール達成のための、強力な道具立てになると思います。

連載:気候変動問題を戦略的に考えよう

松尾直樹
松尾直樹

1988年、大阪大学で理学博士取得。日本エネルギー経済研究所(IEE)、地球環境戦略研究機関(IGES)を経て、クライメート・エキスパーツとPEARカーボンオフセット・イニシアティブを設立。気候変動問題のコンサルティングと、途上国のエネルギーアクセス問題に切り込むソーラーホームシステム事業を行う。加えて、慶応大学大学院で気候変動問題関係の非常勤講師と、ふたたびIGESにおいて気候変動問題の戦略研究や政策提言にも携わり、革新的新技術を用いた途上国コールドチェーン創出ビジネスにもかかわっている。UNFCCCの政府報告書通報およびレビュープロセスにも、第1回目からレビューアーとして参加し、20年以上の経験を持つ。CDMの第一号方法論承認に成功した実績を持つ。 専門分野は気候変動とエネルギーであるが、市場面、技術面、国際制度面、政策措置面、エネルギー面、ビジネス面など、多様な側面からこの問題に取り組んでいる。

エネルギーの最新記事