2021年5月18日、IEA(国際エネルギー機関)は報告書「Net Zero by 2050」を公表した。内容は、2050年までに全世界の温室効果ガス排出量をゼロにし、気温上昇を1.5℃未満に抑制するというもの。今後、油田やガス田の開発は停止し、クリーンエネルギーへの投資は年間4兆ドル以上にしていくことなどが盛り込まれた内容となっている。報告書はCOP26の交渉のインプットとして提供される。エネルギー分野に保守的な立場だったIEAの報告書だからこそ、影響力がありそうだ。
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IEAは、第一次石油危機後の1974年に、石油供給の国際的な安定のためにOECD(経済協力開発機構)によって設立された組織だ。その出自からわかるように、化石燃料を中心とした従来のエネルギー業界に寄った立場から、エネルギー需給予測についても保守的な報告書を公表してきた。言わば、「気候変動問題」よりも「エネルギー安定供給」に軸足を置いてきたといってもいいだろう。毎年公表している「Energy Outlook」においても、将来にわたって化石燃料が一定の割合を占めるという見通しを示してきた。
こうした立場だったIEAだからこそ、2050年カーボンゼロを目指した報告書が大きなインパクトを持って迎えられたといえる。イメージとしては、読売新聞が「日本国憲法を守ろう」という社説を掲載し、産経新聞が「従軍慰安婦は存在した」という記事を掲載するようなものだろうか。
とはいえ、IEAが急にカーボンゼロを検討するようになったわけではない。2018年にIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が「1.5℃特別報告書」を公表して以降、世界的にも2050年カーボンゼロという主張が高まっていた。IEAが2020年10月に公表した「Energy Outlook 2020」において初めて2050年カーボンゼロシナリオを検討しており、2021年3月31日には、40ヶ国からの参加によるネットゼロサミットを開催している。一方、2020年11月にIEAは再生可能エネルギーに関する報告書を公表しており、ここでは再エネへの投資の不足を警告している。
OECD諸国の石油会社の多くも、すでに2050年カーボンゼロにコミットしており、IEAが今回の報告書を公表したことで、気候変動の国際交渉にもはずみがつく。
今回の報告書では、カーボンゼロに向けて、大胆な提言や指標となる数値が示されている。例えば、今後は油田やガス田の新たな開発は行わない、2035年以降エンジンを利用した自動車の販売をなくす、2030年までに2020年の開発量の約4倍の太陽光発電・風力発電を開発していく、クリーンエネルギーへの投資を現在の3倍以上となる4兆ドル強にしていく、といった内容だ。そこには、2050年カーボンゼロは不可能ではないがチャレンジングなものになるというメッセージが込められている。
以下、どのような内容が示されているのか、紹介していく。
まず、2050年までの取り組みは、2030年までと2030年から2050年までの2つの期間に分けられる。そして、2030年までは既存の技術によってクリーンエネルギーを拡大し、それ以降は新たな技術開発による脱炭素が拡大していくという。そして、2030年までに大規模なクリーンエネルギーを拡大していくことが優先されるという。
具体的には、2030年までに633GWの太陽光発電と390GWの風力発電を開発していく。これは2020年の開発量のおよそ4倍に相当する。また、電気自動車の販売台数の割合は2030年には5,600万台、2020年の18倍になるという(図1)。
図1−1 ネットゼロへの追加発電容量 2020年と2030年
IEA, Capacity additions in the net zero pathway, 2020-2030, IEA, Paris https://www.iea.org/data-and-statistics/charts/capacity-additions-in-the-net-zero-pathway-2020-2030 日本語追記は編集部による
図1−2 ネットゼロへの電気自動車販売量 2020年と2030年
IEA, Electric car sales in the net zero pathway, 2020-2030, IEA, Paris https://www.iea.org/data-and-statistics/charts/electric-car-sales-in-the-net-zero-pathway-2020-2030 日本語追記は編集部による
一方、2050年までに、新たな技術の開発が必要となってくるという。特に重要なものが、蓄電システム、グリーン水素、大気中から直接でのCO2回収貯留の3つが挙げられている。
報告書が示す2050年の姿は、次のようなものとなっている。
電化が進み、エネルギーの50%が電力となってる。ここには、グリーン水素の製造に使われる電力も含まれており、総発電量は現在の2.5倍となっている。また、電力の90%は再生可能エネルギーとなり、大部分は太陽光発電と風力発電だ。残りのほとんどは原子力発電が担う。そのためには年間17GW~24GWの建設が必要となる。さらに、電力部門は2040年の時点でカーボンゼロになるということだ。
一方、工業においてはCCUS(CO2回収利用貯留)が提供されるか、水素ベースで操業する。自動車はすべて電気自動車ないし燃料電池自動車となり、船舶はアンモニア燃料、航空機はバイオ燃料か合成燃料に依存することになる。さらに代替可能な需要であれば、航空機から鉄道へのシフトが進む。
冷暖房や給湯では2025年にはボイラーの新設が禁止され、ヒートポンプに移行していく。これを示したものが、図2だ。
図2 優先順位の高いアクションと長期目標のための短期的なマイルストーン
IEA, Priority action: Set near-term milestones to get on track for long-term targets, IEA, Paris https://www.iea.org/reports/net-zero-by-2050
こうした変化は、人々の生活にも影響を与える。エネルギー効率の高い建物や電気自動車の購入だけではなく、近距離は徒歩や自転車の利用、長距離は鉄道など公共交通機関の利用が求められる。
一方、途上国においては、電力にアクセスできない約7億8,500万人に電力を供給し、26億人には新たに調理のための電力を供給する。そのためにはエネルギー部門の投資の1%、約400億ドルが必要となる。さらに、大気汚染が減少し、死亡者が年間200万人減少する。
雇用にも影響を与える。2030年までにクリーンエネルギーの分野で約1,400万人の雇用が創出され、さらに建物や運輸、電化製品の分野でも約1,600万人の雇用が創出される。一方、化石燃料の産業に従事する約500万人に対する手当ても必要となり、そのために慎重な政策が必要となる。
報告書では、投資についても大胆な提言を行っている。
まず、クリーンエネルギーへの投資だが、2030年まで毎年約4.4兆ドルが必要だとしている。現在、1.2兆ドルなので、3倍以上に拡大することになる(図3)。しかし、こうした投資によって、世界の年間GDP成長率を0.4%押し上げることになるという。
図3 ネットゼロへのクリーンエネルギーへの投資
黄色:エンドユーズ、紫:エネルギーインフラ、水色:発電、緑:低排出燃料 IEA, Clean energy investment in the net zero pathway, 2016-2050, IEA, Paris https://www.iea.org/data-and-statistics/charts/clean-energy-investment-in-the-net-zero-pathway-2016-2050
化石燃料への投資には急激な需要低下が見込まれるため、現時点でコミットされている案件以外には、新たな投資は必要ないという。
一方、安全保障の面では新たな課題が出てくる。電化が促進されることにより、サイバー攻撃など新たな脅威があるという。また、新たな油田の開発がなくなることで、石油の中東依存度そのものは高まることになるという。
2050年ネットゼロに向けた取り組みでは、もっとも重要なのは政府だという。そして、政府が企業、投資家、市民と協力していくこと、そして政府間の協力を通じて、投資とイノベーションが促進されることにかかっているということだ。
今回の報告書において、日本への示唆もある。
第一に、2050年の再エネ導入目標だ。日本では決定ではないものの、2050年の再エネ比率は50~60%が見込まれている。しかしこの数値は報告書と乖離がある。IEAは水素やアンモニア、CCUSによる火力発電はあまり見込んでいないといえそうだ。
第二に、投資の規模だが、世界のGDPにおける日本の割合を勘案すると、日本は毎年30兆円以上の投資が必要となってくる。これは日本の電力市場よりも大きい。もっとも、投資対象は電力には限らず、建物や運輸などの分野もある。また、投資先が国内とは限らず、海外の脱炭素に貢献する投資というのも大きなものとなっていくだろう。
一方、ヒートポンプなど日本が先行する技術も少なくない。こうした技術を海外で拡大させることができれば、日本にも多くのビジネスチャンスがあるだろう。
今回の報告書は、英国のグラスゴーで11月に開催されるCOP26(気候変動枠組み条約第26回締約国会議)のハイレベル交渉に情報を提供するために作成されたものだ。
COP26の議長Alok Sharma氏は、「この報告書を歓迎します。この報告書は、排出量を正味ゼロにするための明確なロードマップを示しており、次期COP議長国として設定した優先事項の多くを共有しています。つまり、今すぐ行動して、すべてのセクターでクリーン技術を拡大し、今後10年間で石炭火力発電とガソリン車の両方を廃止しなければなりません。また、国際的な協力体制の重要性が強調されたことも心強いです。この協力体制がなければ、グローバル・ネット・ゼロへの移行は数十年遅れる可能性があります。英国のCOP26議長国としての最初の目標は、今世紀半ばまでにネットゼロに到達するまで、世界の排出量を削減する道筋をつけることです」と述べている。
一方、IEA事務局長のFatih Birol氏は、「IEAは、1974年の設立以来、経済成長を促進するために、安全で安価なエネルギー供給を促進することを中核的な使命としてきました。各国政府は、バッテリー、デジタルソリューション、電力網への投資のための市場を創出し、柔軟性に報い、十分かつ信頼性の高い電力供給を可能にする必要があります。また、重要鉱物の役割が急速に拡大していることから、タイムリーな供給と持続可能な生産の両方を確保するための新たな国際的メカニズムが求められています」と述べている。
報告書が日本を含む各国政府に求めてる内容は、たやすいものではないが、“IEAですら”カーボンゼロという方針を示したことは、気候変動の国際交渉に大きな影響を与えることになるだろう。
(Text:本橋恵一)
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