北尾トロの 知らぬがホットケない 第10語 二次電池の巻 | EnergyShift

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北尾トロの 知らぬがホットケない 第10語 二次電池の巻

北尾トロの 知らぬがホットケない 第10語 二次電池の巻

2021年08月06日

『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』『夕陽に赤い町中華』などでおなじみの北尾トロさんの連載。カーボンニュートラル?脱炭素?SDGs??という自称・脱炭素オンチの北尾トロさんが、「知らぬが仏」にしておけないキーワードを自ら調べ上げ、身近な問題として捉えなおします。今回のキーワードは・・・

知らぬがホットケない 第10語 二次電池 の巻

検索したらだいたいあってた

また聞き慣れない言葉が出てきたが、落ち着いて考えればなんとなく察しがつく人が多いのではないかと思う。

昔から馴染みのある乾電池が一次電池だとすると、二次電池とは充電ができ、繰り返し使える電池のことだろう。検索したら、だいたい合ってる。じゃ、僕と似たようなことを考えた人は正解ってことで…クイズかい!

もう少し丁寧に書くと、一次電池とは使い切り電池のこと。放電していくと電気を起こす力が弱まり、すべて放電すると使い捨てることになる。それに対して二次電池は、充電して繰り返し使うことのできる電池。充電式電池ができたことで、電池界は一次と二次に線引きが行われたわけだ。それはいつのことだろう。

電池の歴史はカエルから?

興味が出てきたので「電池の歴史」で検索してみたら、一次電池に関してはパナソニックのサイトに詳しい歴史が載っていた。それによると、電池の原理は2000年以上前、バグダッド郊外のホイヤットラブヤ遺跡から発掘された、金銀のメッキのために使われた「つぼ型電池」まで遡るらしい。土器の壺の中に鉄棒と銅筒を差し込み、酢やブドウ酒を電解質として使ったと考えられているそうだ。

ただ、エネルギーとしての電池となると、次の展開は18世紀、いまにつながる電池の原理をイタリアの生物学者ガルバーニが発見するまで待たねばならない。どういうものか、サイトにはこう書かれている。

<カエルの足の神経に2種類の金属をふれさせると電流が流れ、足の筋肉がピクピク動くのを発見しました。これが電池の原理の始まりといわれています>

歴史的発見に貢献してくれたカエルに感謝だ。

現在の化学電池の原形ができたのは1800年。イタリア人ボルタが作った「ボルタ電池」がそれだった。さらに1868年、フランス人のルクランシェが乾電池の原形となる「ルクランシェ電池」を発明。徳川幕府が倒れ、日本が明治元年を迎えた年だ。

日本人の発明、乾電池は「乾いた」電池

乾電池という名称は、それから20年後、ドイツ人ガスナーが発明した塩化アンモニウム溶液が流れ出ない"乾いた"電池にちなんでいる。

しかし驚くなかれ、乾電池を世界に先駆けて発明したのは日本人発明家の屋井先蔵なる人物なのである。ガスナーより3年早い1885年のことだった。

屋井は時計店の丁稚として働きながら機械の基本を学び、乾電池を発明後、屋井乾電池合資会社を設立。日清戦争時、軍事機器の電源として屋井乾電池は大活躍し、戦後も躍進を続けて「乾電池王」の異名を取るまでになったという。乾電池売り場では日本のメーカーが強いなと思っていたら、長年かけて培ってきたお家芸だったんだねぇ。

一方、二次電池の原点は、1859年にフランス人のガストン・プランテが発明した鉛蓄電池。ボルタ電池とは約60年の開きがあるが、思ったより早い。その後、1899年にスウェーデンの技術者ウォルデマール・ユングナーがニッケルカドミウム電池を、翌年には発明王エジソンがニッケル鉄蓄電池を発明した。

細かく歴史を追っている紙幅はないので割愛するが、充電して繰り返し使える電池の登場で、電池界の様相は大きく変わっていく。現在の主流は、小型・軽量・大容量という時代のニーズを満たし、多くの電子機器で使われているリチウムイオン二次電池で、スマホやPCに代表されるIT機器にとってはなくてはならない存在となっている。

リチウムイオン二次電池というとわかりにくいかもしれないが、スマホやPCのバッテリーとして使われていると言えば、誰もがピンとくるだろう。

リチウムイオン二次電池でも日本人・・・吉野彰氏の功績

IT技術を下支えする画期的な発明だが、じつはここでも日本人が大活躍している。1980年にアメリカ人のジョン・グッドイナフ教授が原理を発明したリチウムイオン二次電池を、より具体的なものとして確立し、グッドイナフ教授とともに2019年のノーベル化学賞を受賞した吉野彰氏(旭化成名誉フェロー)である。屋井先蔵の乾電池と吉野彰のリチウムイオン二次電池で、日本人は電池界に多大な貢献をしてきているのだ。これはちょっと自慢だなあ。

1990年代に市場に出たリチウムイオン二次電池は当初、売れなかったそうだ。でも、吉野氏はめげることなく研究を続け、さらなる小型化・軽量化を実現していく。すると、1995年になって突如売れだしたという。IT革命によるインターネットの時代がやってきて、携帯電話やPCなどにリチウムイオン二次電池が使われ、一躍主役の座についてしまったのである。いまや二次電池で動かすクルマさえ商品化される時代だ。

二次電池のデメリットとしては、価格の高さ、温度変化への弱さ、満タンで放置すると劣化しやすい点が挙げられ、まだ進化の余地を残している。当然、リチウムイオン二次電池を凌駕しようとする新たな技術開発も進んでいるに違いない。

電池と言えば乾電池だった時代は、すでに過去のものなのだ。ライターの必需品であるICレコーダーの使用済み乾電池が机の引き出しにゴロゴロし、捨て方に困っている僕は時代遅れだなあ。まずは充電式電池を使うところから"バッテリーの補充"を始めてみようか。

北尾トロ
北尾トロ

ライター。1958年福岡県生まれ。体験・見聞したことをベースに執筆活動を続けている。趣味は町中華巡りと空気銃での鳥撃ち。 主な著書に『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』『ブラ男の気持ちがわかるかい?』(文春文庫)『猟師になりたい!1~3』(信濃毎日新聞社、角川文庫)『夕陽に赤い町中華』(集英社インターナショナル)などがある。

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