町をS字型に蛇行するのが大運河「カナル・グランデ」。画面右の広場が有名なサン・マルコ広場だ。この広場の海抜は80cmと最も低いため、真っ先に浸水被害を受ける ©Hiroaki Oyamada(クリックすると別ウィンドウで開きます)
世界中の旅人が憧れるベネチアは、湿地に杭を打って土台を作り、その上に街作りが行われた。敵の侵入を防ぐために海の上に浮かぶ街を作り上げたのだ。東方貿易で街は繁栄し、数々の文化が花開いた。街と周辺の潟は1987年に世界遺産に登録された。周辺の潟は漁場にもなっており、ベネチアの食を支えている。街は数百年前と同じ姿を我々に見せてくれる。
ベネチアは数多くの映画のロケ地にも選ばれており、古くは『旅情』や『ベニスに死す』などの作品から、おおがかりなエンターテインメント作品『007 ロシアより愛をこめて』『007 カジノロワイヤル』『インディジョーンズ/最後の聖戦』『ミニミニ大作戦』『ツーリスト』にも登場している。
よく迷宮ベネチアと称されるが、実際に歩いてみると主要なスポットへ誘導する看板があちこちにあるので、それに従って歩いていけばたどりつけるようになっている。ベネチアでは方向感覚を失いながらそぞろ歩きを楽しむのがおすすめだ。
サン・マルコ広場の人気見どころドゥカーレ宮殿。冬の時期に訪問したので、アクア・アルタの際に使う渡し板が設置されていた。人々が腰掛けているのがその渡し板で、土台となる足場に板を載せて使用する ©Hiroaki Oyamada(クリックすると別ウィンドウで開きます)
人気の街だけに、近年は京都やバルセロナなどとともにオーバーツーリズムの状態に陥り、地元の人々の生活が脅かされていた。家賃などの物価が上がり、観光客により極端に混雑し、暮らし続けることが難しいほどの状況に追い込まれていた。旧市街の人口は1950年代には17万人を超えていたが、現在は5万人台まで減少している。
また秋から春にかけては“アクア・アルタ(Acqua Alta)”と呼ばれる高潮に襲われ、街の中でも腰の高さまで浸水する被害にも見舞われてきた。街の標高は1mほどなので、1mを超える海面上昇があると浸水が始まる。高潮洪水の要因は複数あり、1970年代まで行われた地下水くみ上げによる地盤沈下や、温暖化による海面上昇も被害を一層大きくする要因となっている。
観測史上最も深刻だったのは1966年の1.94m。2019年11月には1.87mに達する史上2番目の記録が観測された。このときは、実に街の85%が浸水したという。2018年10月は1.56m、2020年12月は1.5m近い海面上昇が観測され、浸水被害が生じた。
サン・マルコ広場南東に位置する鐘楼の前に大きな水たまりができていた。建物が映り込む風景は情緒があるが、アクア・アルタのときは膝ぐらいまでの濁り水で水浸しになってしまう ©Hiroaki Oyamada(クリックすると別ウィンドウで開きます)
コロナ禍を経てベネチアの状況は大きく変わった。観光客が激減したことで、運河の水はきれいになり、長年の懸案だった大型クルーズ船の入港制限も2021年8月1日から実施されることになった。
またアクア・アルタの被害を防ぐための切り札とされてきた巨大プロジェクト「モーゼ(MOSE)」も2020年に試験運用が始まった。モーゼはベネチア周辺の潟に流入する海水を防ぐための堰を稼働させる仕組みで、予想水位が1.3mを超えると作動するようになっている。運用開始直後の10月は、見事に機能し浸水被害を未然に防いだ。
明るい兆しと思われる変化が生じたが、観光収入が減ったうえに、2018年と2019年の大規模な洪水被害で、ツーリズム産業は深刻なダメージを受けている。さらに、2020年12月のアクア・アルタ発生の際は、予想される海面上昇が1.2mほどと見積もられたためモーゼが作動せず、浸水被害が生じてしまった。
まるでテーマパークのような姿を見せるベネチアの街だが、ここは実際に人々が住み生活を営んでいる場所だ。人口が減少すれば、生活だけでなく文化を維持することも難しくなる。街並みの「ハコ」が残ってもその文化は引き継ぐことができない。
町のランドマークのひとつフェニーチェ(不死鳥)劇場はたびたびの火災からも復興を成し遂げた。この伝統あるオペラ劇場のように、ベネチアが問題を解決し、元気を取り戻してほしい。
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