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カーボンニュートラル・脱炭素宣言 だが、日本には気候保護の法がない

カーボンニュートラル・脱炭素宣言 だが、日本には気候保護の法がない

2021年03月20日

2021年の通常国会では、地球温暖化対策推進法(温対法)改正案の成立が見込まれている。2050年カーボンニュートラル宣言を受けての改正ということになる。京都議定書の採択を受けて1998年に成立した温対法だが、気候変動問題をめぐる国際政治の変化に応じて、これまでに何度か改正されている。しかし改正案を見る限り、気候ネットワーク理事長の浅岡美恵氏は、実効性に疑問があるという。

脱炭素宣言を受け、温対法を改正法案提出へ

2021年3月2日、地球温暖化対策推進法(温対法)の改正法案が閣議決定され、国会に上程された。菅首相の2050脱炭素宣言を受けての改正だそうだ。宣言の本気度を占う指標ともいえる。

今回の改正は、環境省によれば、1)パリ協定の目標や2050年脱炭素宣言を基本理念として位置づけ(第2条の2)、脱炭素に向けた取組・投資を促進する、2)地域の環境配慮・地域貢献などの方針に適合する再エネ活用事業を市町村が認定した事業の行政手続きをワンストップ化、アセスの簡略化、3)排出量算定報告制度による企業の排出量情報をデジタル化・オープンデータ化の3点だという。「迅速」な対応の裏には、宣言の限界も透けて見える。


小泉環境大臣会見(令和3年3月2日)

排出削減の対策基盤を欠いていた温対法

温対法は、日本が2008年から2012年までの第1約束期間に温室効果ガスを1990年比で6%削減するとの法的拘束力のある目標を定めた京都議定書採択の翌年(1998年)に制定された。京都議定書が発効したのは2005年であるから、98年制定の推進法にその名がないのは理解できるとしても、気候変動枠組み条約第2条の究極の目的の前半部分を「人類共通の課題」として掲げ、全ての者が自主的かつ積極的に取り組むことを目的にしたものである。

実際、基本方針を定めるとあるだけで、法的拘束力のある要素はなにもない

法案の立案責任者は当時、6%削減目標を達成するための将来の対策にとって欠かせない「土台」を用意したもので、今後、ホップ・ステップ・ジャンプで高めていくと強調していた。

この土台法は温暖化対策の具体化を果たしたのか。もともと対策の土台となりえない法律であったうえ、政治的に質の転換が図られることなく、今日に至ったというべきではないのか。

温対法は7回改正されている

温対法はこれまで7度、改正されている。

2002年に京都議定書を批准したことを受け、基本方針を京都議定書目標達成計画の策定に変更し、地域協議会を位置付けた。2005年に議定書発効を受けて温室効果ガスの算定報告公表制度を導入したが、これは排出実態把握の制度であって、削減対策の前段階に過ぎない。

2006年改正は議定書目標達成のための京都メカニズム活用の口座整備、2008年改正は省エネ法定期報告制度を事業所単位から事業者単位に改定したことにあわせて事業者単位の制度としたため、透明性は低下した。

2013年改正では森林吸収源についての削減量算定措置の義務付け、日本は第2約束期間の目標を受け入れないことを決めていたため、京都議定書目標達成計画を地球温暖化対策計画に名称を変えた。同年4月には環境基本計画に2050年80%削減を目指すことが盛り込まれたが、温対法に加えられることはなかった。

2015年にパリ協定が採択され、2016年3月に2030年の目標として2013年比26%削減とする地球温暖化対策計画を提出したが、その際の改正でも、対策は普及啓発、国民運動のみである。パリ協定は2016年11月4日に発効し、日本も同月8日に批准したが、温対法は改正されなかった。

2015年 第21回気候変動枠組条約締約国会議(COP21)が開催されたフランスのパリでの各国首脳
2015年 第21回気候変動枠組条約締約国会議(COP21)が開催されたフランスのパリでの各国首脳

やっと「排出削減」が温対法に

そこで、首相のカーボンニュートラル宣言を受けての今回の改正である。

環境省が今回の改正点を示しているが、実際の改正案に取り入れられたにもかかわらず、示していない大事なことが一つ抜けている

成立以来「排出抑制」でしかなかったものが、今回、すべて、「排出削減」に変えられたことである。その数、何と、52ヶ所に及ぶ。

これまで温対法には、国と自治体の実行計画策定の場を除いて、「削減」の文字が使われていなかったのである。

このことは、日本は京都議定書採択・批准以降も、G7などの国際的圧力から2050年80%削減を受け入れたものの、実は、中長期的な排出削減に取り組む意思も行動も欠いていたことを示しているのではないか。

そのもとは、京都議定書の6%削減の達成内訳をめぐる政府内の攻防に遡る。議定書が採択されたその会議場で、経済産業省は、森林吸収源で3.9%、京都メカニズムで1.6%、非エネルギー起源CO2やCO2以外のGHG(温室効果ガス)で6%削減目標を達成し、エネルギー起源CO2は0.6%増加と言った。これは、COP3以前からの経済産業省のシナリオどおりで、その後の国内対応を確定していった。

そのプロセスで、吸収源に関する詳細ルールの交渉過程で見せた日本のごり押し対応はハーグでのCOP6交渉を決裂させた。その再開会合でEUが日本の要求を丸のみしたことでCOP7においてマラケシュ合意に至り、京都議定書は発効した。

以来、日本の温暖化対策はCO2を自主的に排出抑制する、という枠組みを超えなかったのである。

政府は近年、排出量が低下していると強調している。理由は国民の省エネと太陽光発電がのびたことによる。その再エネ政策も、揺れ動いている。

改正法案の脱炭素は理念のみ

看板の「カーボンニュートラル・脱炭素」は、今回の温対法改正法案のどこに書かれているのか。

目的規定は据え置かれたままである。第2条の2として基本理念が加えられ、パリ協定第2条1(a)の2℃(1.5℃)目標を引用して、環境の保全と経済及び社会の発展を統合的に推進しつつ、2050年までの脱炭素社会の実現を旨としている。これを踏まえ、「地球温暖化対策の推進が行われなければならない」とするに過ぎず、その主語もない

「排出削減」に変えたものの、その対策の柱とされる再エネ推進は、自治体での「地域脱炭素化促進事業計画」次第である。

地域の対立を調整できれば環境アセスの配慮書の省略、農地法などでの許可があったものと見做すとし、導入促進に資するかにみえるが、地域での対立や問題解決を自治体に丸投げしたもので、実効性はあがるだろうか。再エネ促進のための系統接続問題なども経済産業省マターで残されたままである。

幻と消えた気候変動法制定の動き

世界初の気候変動法として知られるのは、英国気候変動法(Climate Change Act 2008)である。NGOが政党に気候保護法の制定を働きかけ、成立させた。

2050年80%削減を法定し、科学者による気候変動委員会を創設し、その助言を得て、2020年以降の5年毎の目標を、3期分先まで定め、順次、目標を引き上げていくという構造である。この枠組みはパリ協定にも影響を与えた。

日本でも、10年以上前のことになるが、気候保護の法律制定に向けた議論が高まったことがある。2009年のコペンハーゲンでのCOP15を前に、気候ネットワークなどNGOが「Make the Rule」キャンペーンを展開した。

民主党政権下で、民主党から地球温暖化対策基本法案が、自民党、公明党からもそれぞれ法案が提出されたが、実質審議されることはなく東日本大震災・福島原発事故を迎え、石炭火発の新増設が推進されることにさえなったのだった。

本気で2050年脱炭素への行程表を法律に

気候危機は現実である。温暖化が加速的に進行するなか、世界の脱炭素の潮流も加速的に進むだろう。ゼロへのレースは始まっている。

ようやく、温対法は排出削減の法律となった。2050年脱炭素の達成は1.5℃目標の実現を意味しない。目標の実現は、その経路、とりわけ2030年までの削減にかかっている。

(この連載は月1回の掲載予定です)

浅岡美恵
浅岡美恵

1947年徳島県生まれ。1970年京都大学法学部卒業。1972年弁護士登録。1975年浅岡法律事務所開設。2006年度京都弁護士会会長。スモン訴訟や水俣病訴訟などの公害問題、豊田商事事件など消費者問題が専門。2014年度日本弁護士連合会副会長。1996年気候フォーラム事務局長。1998年より気候ネットワーク代表として、市民セクターから温暖化問題を中心とした環境問題に取り組む。2005年、環境大臣環境保全功労者表彰。日本環境法律家連盟所属。著書に『低炭素経済 への道』(共著、岩波新書、2010)、『世界の地球温暖化対策』(編著、学芸出版社、2009)ほか。原子力委員会新大綱策定会議委員、中央環境審議会 地球環境部会委員などを歴任。 気候ネットワーク https://www.kikonet.org

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