日本でもあっという間に脱炭素という言葉が定着してきた感がある。経済誌が特集を組み、経営の最重要課題の1つとなっている。とはいえ、日本の多くの企業は本当に積極的に脱炭素に取り組んでいるといえるのだろうか。なぜ、脱炭素に取り組むのか、きちんと考えておく必要があるだろう。日本再生可能エネルギー総合研究所の北村和也氏が問いかける。
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脱炭素を巡る政府や民間の動きが急である。
2020年10月末の、菅首相のカーボンニュートラル宣言から半年余りが経つ。前回のコラムの冒頭でも書いたように、特に大企業を中心とした民間では対応についてややパニックに近い状態が続いている。
海外から入ってくる情報は日本が遅れていることを示すものばかりである。一方、国内の金融が企業の取り組みを要求し消極的な企業を“差別”し始めているため、なおさらである。
確かに企業の存続に関わることであり、私もセミナーなどでスピード感ある対応を強調しているので、少し責任を感じる。
ここで、原点に立ち戻りたいと思う。脱炭素は誰のためのものか。何のために達成しなければならないのか。今、脱炭素が目的化してしまっていないだろうか。カーボンニュートラルは、あくまでも手段であることを忘れてはならない。
私が、この確認をお勧めするのは、今起きている動揺や焦りを和らげ、使命感やモチベーションを取り戻せるのではと期待するからである。
当たり前のことだが、そもそも脱炭素は温暖化を防ぐ最も有効な手段であることを思い出してほしい。目的はあくまでも気候危機からの脱出である。脱炭素はその重要なプロセスであり、再生エネや省エネは最も有効な手段である。
企業を含む私たちは闇雲に脱炭素を目指しているのではない。カーボンニュートラルは、目の前に迫る危機を逃れ、豊かな未来を残すために必然的に求められる努力である。つまり、人類すべてのためと言い換えてもよい。他人ごとではない、広い意味での企業存続を含む自らのためである。
ここで問われるのは、私たちは本当に危機を感じているのかということである。ドイツと日本で行われた2つの調査を見てみたい。
今年、2021年3月、デロイトトーマツグループが「企業のリスクマネジメントおよびクライシスマネジメント実態調査 2020年版」を発表した。日本企業(国内の上場企業343社)を対象に「国内で優先して着手が必要と思われるリスク」を50項目の中から選ぶ形式(3つまでに選択)で結果を以下に示した。
企業の国内で優先して着手が必要と思われるリスク、トップテン
出典:リスクマネジメントおよびクライシスマネジメント実態調査 2020年版(デロイトトーマツ) *項目の後の(丸数字)は、リスクのカテゴリーナンバー
いまだに新型コロナの影響下にあるため、第一位の「疫病」は当然であろうが、「異常気象」が続いている。全体の3割の企業が選択していることから、コロナとほぼ同等の深刻なリスクとの認識が伝わってくる。
日本の上場企業が、新型コロナに劣らず異常気象をリスクと考えていることは分かった。しかし、その認識と実際の企業の活動、行動にずれがあるような気がしてならない。それは、京都議定書(1997年採択)の頃から連綿と続いている。
今回の日本の脱炭素宣言は、世界で120番台の遅さである。長い間、経団連は、二酸化炭素削減は日本企業の国際競争力を削ぐと後ろ向きであり続けた。もちろん、企業の責任だけに焦点を当てるつもりはない。これまで政府も国民一人一人も同様に地球を守る責務を果たせてこなかったことに大きな変わりはない。
実は、デロイトトーマツのアンケートから透けるのは、企業が考える異常気象リスクは災害への事前対処や実際に起きた被害への対応が中心である。異常気象をもたらす原因をどう根源から解決するかではないように見えてならない。
言葉を変えると、受動的と能動的との違いと言ってもよい。今回の脱炭素を巡る多くの企業の行動は、まず自らの企業を守るために脱炭素化の設定を急いでいることから始まっている。これはこれで間違ってはいない。しかし、そこにとどまっていては、すぐに行き詰まってしまう。なぜなら、「やらされる感」だけでは、モチベーションは続かないからである。
日本では、個々の企業や国民の目標の多くが国から降りてくることが多い。「お上(おかみ)」が決め、下々(しもじも)がそれに従う“良き慣習”が長く続いているのである。受け身の文化である。何が問題か、解決策は何が適当なのかを、人が決めてくれる。
そうなると課題の設定から自らの判断を放棄しがちになる。課題も解決策も自分以外が決めるので、直接的な責任も発生せず追及もされない。新型コロナに見舞われる中で、実は、課題と解決策の責任を負う政府自体が逃げ回っている事実に直面してしまった。
少しずれるが、「コロナの現状を踏まえてオリンピック開催の是非を議論すべきでは」との問いに、「IOCが決めている」と政府を含めた責任者が答えるのを聞いて愕然とした。今起きていることを的確に把握する「想像力」に欠け、行うべき「決断」を捨てる行為である。
ここでドイツに視点を変えてみたいと思う。
再生エネ研究においてドイツ有数のシンクタンクとして知られるベルリンの研究機関、アゴラ・エナギーヴェンデ(Agora Energiewende)が2020年1月に発表した報告書「ドイツの電力市場」にデロイトトーマツに似た調査がある。
以下からダウンロードできる(英語版あり)。
アゴラ・エナギーヴェンデは、電力に関するリポートの第一番目にこのある世論調査「ドイツ国民の考える政治課題トップ5」を載せた(下図)。新型コロナの発生前のものであるが、ドイツ国民の意識の変化をよく示している(*12の選択肢から5つを選ぶ複数回答システム)。
ドイツ国民が近年最も重要な課題としてきたのは、「移民問題」(グレー線)であった。2014年からほぼ5年間、世論調査で圧倒的に一位を続けてきた。しかし、2019年3月以来、「気候危機とエネルギーシフト」(赤線)にトップを譲っている。およそ40%の国民が課題として挙げていた。気候や環境に対してのドイツ人の関心の高さを示すと共に、強い危機感が表れていると考えてよい。
ドイツ国民の考える政治課題トップ5
出典:アゴラ・エナギーヴェンデ「ドイツの電力市場」(グラフデータの調査:Forschungsgruppe Wahlen)
2020年は新型コロナ禍が世界を覆い、最新のForschungsgruppe Wahlenの調査(2021年4月実施、2つを選ぶやや異なる方式)では「コロナウイルス」が圧倒的なトップとなっている。「気候危機とエネルギーシフト」は2位に続いている。国民の考える政治課題や関心事はその時の世界や欧州の動きによって、大きく変動している。それは日本も同じである。
しかし、違うのはドイツと日本の国民の行動である。
国民が最もはっきり意思を示すことができる行動は選挙の投票である。ドイツでは、その時々の課題や関心事に合わせて政党の支持率が大きく変動する。例えば、移民問題に注目が集まる間に新興の極右政党のAfD(ドイツの選択)が一気に2桁の支持率を持つようになった。
最近の調査では、このところ長く政権にあるCDU・CSUの支持率がかつてないほど下がっている。一方で、環境政党として老舗の緑の党が支持を拡大し迫ってきている。9月の総選挙で第一党になる可能性さえ出てきた。課題に合わせて国民が選択する。日本では見えてこない動きである。
脱炭素に戻ろう。
遅まきながら温暖化に対応するための脱炭素への道を日本も選んだ。急激な転換ではあるがここまではまだ受動的な動きと言える。肝心なのはここからである。
脱炭素が気候変動への対応の切り札であることをもう一度確認しよう。そして、民間企業であっても危機を避けるための役割の一端を担えることを自覚すべきである。脱炭素は企業を救うためではなく、未来の地球とそこに暮らす多くの人々を救うことが目的であると言い切ればよい。
ある企業に、脱炭素に使える電力は何があるのか、再生エネ電源でもダメなものは何か。との質問をもらった。積極的な取り組みのための、テクニカルには良い質問である。JCLPのWEBや親しくしているRE Actionの事務局などに問い合わせて一定の見解を得ることができた。それも一つの解である。
しかし、こう考えてはどうだろう。
温暖化防止策の柱の一つは、炭素を吸着できる自然を破壊から救うことと同意義である。そこからたどれば最初の質問の答えは難しくない。自然を蹂躙して作る再生エネ発電施設は論外である。
森林を倒して建設するメガソーラーや植林をしないバイオマス発電、大型開発の水力ダムなど、容易に排除されると気づく。
想像力を持って自ら課題を設定し、解決策を出す。同調圧力を拝して決断する。
脱炭素時代の企業、政府、自治体、そして市民に求められるものはシンプルではあるが、これまでの日本=同調社会からの脱却が必要である。
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