そのような気候変動問題の文脈でジャスティスは、主に、以下の3つの意味で語られている(どれも定量的な事実である)。
この3つの状況がアンジャスティスであり、このような状況を変えることがジャスティスとなる。すなわち、対立軸は、先進国対途上国、富裕層対貧困層、白色人種対有色人種、男対女、大人対子供、現世代対将来世代などである。
第一の先進国と途上国との間にあるアンジャスティスに関する議論や対立は、歴史的には最も古く、途上国の人が世界人口の大部分を占めるという意味では最も重要なものだ。途上国の人々の主な主張は、「人口が増えて、かつ先進国に住む人たちと同じような生活水準を個々が求めればGHG排出が増加するのは当たり前」「歴史的な排出責任は小さいのにより大きな温暖化の被害を受けるのは不公平」の2つである。
これらに加えて「途上国は先進国の贅沢な消費を支える製品を作るためにGHGを排出している」「先進国は、公費を使って途上国に石炭火力発電所を輸出することで利益を得ている」「公害輸出とも言えるGHG排出産業の途上国への移転で先進国の国内排出量を削減したりしている」などの議論も展開している。つまり先進国の責任転嫁やダブルスタンダードを批判し、より大きな分配を求めてきた。一方、先進国の人々は、GHG排出という既得権益を手放すような分配は拒否してきた。
今のエネルギー・システムのまま人口が増えて、各個人が冷蔵庫や車やパソコンなどを使うような豊かな生活をするようになればGHG排出量は必ず増える。したがって、先進国の人が途上国の人に「GHG排出を削減しろ」と言うことは、「人口を制限し、かつ豊かになることを諦めろ」と命令することと同義である(少なくとも途上国の人はそう考えている)。しかし、先進国に住む人たちの多くは、そのような認識を持たない。まさに芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の構図だ。
途上国だけでなく、先進国内にも存在するアンジャスティス・・・次ページ
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